人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

ヒンドゥー教の本質的な7つの教え

2019/07/22
 
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どうも、哲学エヴァンジェリスト 高橋 聡です。

この記事はクシティ・モーハン・セーン著・中川正生訳『ヒンドゥー教』の前半部の書評です。

前半部にはヒンドゥー教の教えを知る上で最も大事な部分です。では、ヒンドゥー教の本質的な教えとはなんでしょうか。

ヒンドゥー教の本質的な教え

あなたはヒンドゥー教と聞いて、何か思い浮かぶものや景色がありますか。

ガンジス川に沐浴する人々、破壊神シヴァの像、ヒンドゥー教寺院。

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外形的なものはわれわれが意識して記憶に残るものです。

でも、外面的なものではなく、内面的な教え、本質的な教えというのは簡単には見えません。

そこで今回はヒンドゥー教の本質をなす7つの教えを考えていきましょう。

1.存在の神秘へのめざめ

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詩人ラビーンドラナート・タゴール(1871−1941)はヴェーダに収められた讃歌をこう総評します。

それは存在の驚異と畏怖に対する、人々の集団的反応が詩に表わされた遺言にほかならない。力強くかつ素朴な想像力をもった民衆が、文明の暁において、生の尽きぬ神秘にめざめたのである。

 

こうした存在の神秘へのめざめは瞑想を導き、瞑想はやがてウパニシャッドや後世のインド哲学に見られる人生観・世界観を生んだのです。

存在の神秘とはなんでしょう。人間や他の生き物が苦しみや楽しみながらもこうも存在している驚異の念。そうした驚異の念と並んで大事なのが、物質的なものの背後にある目に見えない力への畏怖。自分たち人間の存在する神秘、それに気づいた時の驚異の念、目に見えない(霊的な)力への畏怖。そうしたものへの遺言がヴェーダです。そして、ヴェーダの背後にある存在の神秘へのめざめから瞑想が生じ、瞑想から人生観や世界観が生まれたのです。これが一つめのヒンドゥー教の特徴です。

人生観や世界観の根源である、ウパニシャッドにおいて唱えられた神のすべてのものへの遍在という教義と、それが発展して生まれたバヴァバッド・ギーターの説く無私の行為というものがヒンドゥー教の2つめの特徴をなしています。

神がすべてのものに存在しているのですから、すべてのものを大事にしなければなりません。生き物であろうと、非生物であろうと、そこに神が遍在しているのです。万物に神が偏在していることからわがままを教え通すべきではないという考えが生まれます。そうして無私の義務を遂行するように教えられるのです。

 

2.ブラフマンとアートマン

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前八〇〇年ごろにできたとされる「ウパニシャッド」(奥義の書)にはブラフマンとアートマンの一致説、いわゆる梵我一如説が現れます。ブラフマンとは、万物に遍在する神のことであり、アートマンとは自己のことです。最高実在はすべての霊魂の中に自己を顕現するとされます。

この教説はのちのシャンカラの不二一元論という思想まで高められました。不二一元論とは、世界にはブラフマンのみが存在し、それに対応するアートマンのみが実在であり、これに分離した現象世界は幻影のようなものである、という思想のことです。

ブラフマンとアートマンに関する教説はいわばヒンドゥー教の大前提です。キリスト教にとって三位一体説が前提とされるのと同様、梵我一如は崩すことができない前提なのです。

 

3.霊魂の不滅と無私の行為

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『バガヴァッド・ギーター』では、現世における人間の義務を説いています。霊魂の不滅が主張され、無私の行為が理想として高く掲げられ、すべての人間の義務が強調されました。

これくらいの時期に仏教とジャイナ教が起こっています。二つの宗教はヒンドゥー教の出家と愛の理想を発展させ、輪廻転生の形而上学を採用しましたが、それぞれの強調点はヒンドゥー教とは異なっています。

 

4.神に至る3つの道

神に至る道はおよそ3つあると考えられています。

ひとつめが「知識による道(ジュニャーナ・マールガ)」、ふたつめが祭式などの「行為による道(カルマ・マールガ)」、みっつめが信仰を捧げる「信愛の道(バクティ・マールガ)」。この三つの道があると考えられています。

シャンカラの思想につながる哲学学派は知識のよる道を重んじて、多くの宗教運動は親愛の情を捧げるバクティの道を選びました。化身の考えはバクティの道を盛り上げることになりました。一般民衆にとっては、ウパニシャッドに説かれる抽象的な万物に遍在するブラフマンよりも、ブラフマンが具体的な形となってあらわれた人間の姿をした神を信仰するほうがより容易だったのです。

ヒンドゥー教徒のなかの知的階級はほとんどが知識による道を選び、抽象度の低い礼拝形式への関心はだいぶなくなりはしています。ただし経済的に貧しいヒンドゥー教との大部分はバクティやカルマといった昔ながらの道を選んで神に近づこうとします。

このように神に至る道が何個もあるため、多神教と言われることが多いヒンドゥー教ですが、実際のところは自分の属する階層の社会的慣習に従って、神話の中のある神を信仰しますが、それを通して真の神に礼拝しているのです。

5.再生と解脱

解脱とは、行為(カルマ)の絆、再生から解放されて自由になり、存在の満ち溢れた完成の境地です。解脱とは、仏教の涅槃と同じ意味で、再生の輪からの脱出することです。

仏教とジャイナ教もこの前提を受け入れ、そこから新たな道を模索していったのでした。

 

6.多様性のなかの統一

ヒンドゥー教では神は唯一者ですが、万物に遍在するとされます。そういう前提から、無限なる唯一者に至る道は無数にあります。神に至る「多くの道」の概念がヒンドゥー教に無限の多様性をもたらしています。

 

7.行為の根本的規範としてのヒンドゥー教

哲学者S・ラーダークリシュナンは次にように語ります。

ヒンドゥー教は、思想に関しては絶対的な自由を与えるが、行為に関しては厳格な規律を課する。重要なのは行為であり、信仰ではない。

このように、ヒンドゥー教では思想は自由、その思想から選びとられた行為に関しては厳格な規律を課します。聖典と日常的習慣が行為の規範となることがあります。

 

以上、7つの本質的な教えについて考えていきました。

本の紹介

『ヒンドゥー教』

ヒンドゥー教について非常にわかりやすく解説されている本なので、あなたもぜひ手にとってみてください。






ヒンドゥー教 (講談社現代新書)

『インド思想史』

ちょっと本文が難しい部分もありますが、こちらも良書。参考に読んでみてください。







インド思想史 (岩波文庫)

 

それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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