人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

対象とならない全体を指すことば・包括者(超越者)|哲学の用語解説

2021/05/15
 
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どうもこんばんは、高橋聡です。大阪は今日、昼間から夕方にかけてかなり暑かったです。それでも湿度がそんなに高くないので過ごしやすかったので良いですけどね。会社の前にある御霊神社で5月中旬のお参りにいってきました。感謝の言葉をささげ、健康でいられるように祈ってきました。コロナもはやめに収束するとよいですね。

さて、今回はヤスパースの包括者または超越者と呼ばれる概念について見て行きます。その前に前回見た枢軸時代についての記事について少し振り返りましょう。

前回の記事|現代の精神の原点となる枢軸時代

前回は枢軸時代について見て行きました。現代の大きな文明圏の精神史のはじまりというべき思想が出てきた時代が枢軸時代でした。記事のリンクを下に貼っておきます。

まだお読みでない方、興味のある方はぜひ読んでみてください。世界史に興味のある方も楽しめる記事となっております。

包括者・超越者という概念

ヤスパース哲学の基底をなす包括者

包括者とは、ヤスパースの実存哲学の基底をなす重要概念です。包括者は、自己と世界のすべてを包み込むもので、全体を指すことばです。限界状況に直面した後の人間、つまり実存は自己を自由に形成しますが、その存在自体は人間自らがつくったものではありません。実存を形成したのは有限性を超えた超越者=包括者によってであり、これは超越者からの贈与なのです。つまり自由な実存は自らを超越者に依存していて、超越者とかかわることで実存は存在できるのだ、と言います。

また、超越者は実存と世界の対象のすべてを包み込んで、それらすべてを根拠づけるものとして包括者とも呼ばれます。

有限性の自覚から包括者へ

ヤスパースによれば人間は限界状況において、自らの有限性を自覚し、そのときに超越者に出会うといいます。ただし、ヤスパースは特定の対象を超越者と見誤ると、迷信や独断に陥ると指摘し、哲学は現象を超越者が自らを伝える暗号として読解する役割があることを説きました。

有限性とはなにか

上記セクションで有限性ということばがでてきましたが、どういう意味でしょうか。ヤスパースの実存哲学でいう有限性とは、限界状況に直面することで明らかになる人間の無力さのことです。人間は限界状況における挫折や絶望を通じて、この世界における自己自身の有限性を思い知らされます。その有限性を自覚することを通して、人間はこの世界を超えたまなざしを向けることができるようになり、超越者の存在へと向かい、自らの生き方や生きる態度を決断する真の存在へと生まれ変わることができるのです。

包括者・講評

全体と個別という哲学や数学での議論があります。全体は単なる個別の総和ではありません。全体から見て個別を見たとき、個別を対象としてみることはできます。ところが個別からみて全体をみるとき、全体を対象として扱うなら、それは全体を個別として扱うことになるので、間違っていることとなります。

カントはこういう全体と個別に生じる問題を理性の誤謬と考えました。そして世界に対象としての大きさがあるか、ないかといった議論はナンセンスだと断じました。

よく考えてみてください。

全体は確かに大きさとしては論理的に有限なはずです。ところが宇宙全体は構造的にどこまでいっても宇宙なので、この有限の大きさは宇宙内存在であるわれわれには、無限なのです。つまり宇宙の大きさは確かにあるのですが、それは宇宙を対象としてとらえているので、あまり意味がないことなんです。実際の宇宙全体は全体としては大きさの議論をしても全く実践論的にも無意味なのです。

ヤスパースの包括者、超越者という概念はまさしくここでいう全体をさします。われわれの客観的な事物はすべて個別な対象ですが、全体は対象として扱えないのだ、ということなんです。

以上、今回は包括者と有限性というヤスパースの概念についてみてきました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

高橋聡記す

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Comment

  1. 幸せ より:

    素晴らしい。感動的。完全無欠

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