苦痛を耐え忍びつつも弟子たちに慈悲を与え続ける臨終のブッダ|釈徹宗『お経で読む仏教』第3章『涅槃経』のミクロダイジェスト
この記事を書いている人 - WRITER -
哲学エヴァンジェリスト。
東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
どうもこんばんは、高橋聡です。晴れていると暑い日も増えてまいりました。初夏といっていい日が続く今日この頃です。体調を崩さないようにだけ注意しましょう。
前回の記事
前回は『スッタニパータ』について見てきました。
まだ読んでいない方は是非よんでみてください。それでは『涅槃経』の話に入っていきましょう。
『涅槃経』から何を学べるか
今回考えていくのは『涅槃経』から何を学べるか、という点です。
先にこの疑問に対するぼくなりの答えをいっておくと、『涅槃経』から学べるのは、ブッダもまた人間であり、死ぬ直前の症状などで苦痛はあったが、最後まで弟子やブッダを慕う人々のことを考えて平静を保ち慈悲を示しつづけた、ということを学べました。仏教者のあるべき姿がそこに載っているといってもよいでしょう。このことを念頭におきつつ、『涅槃経』の内容に入っていきましょう。
『涅槃経』全体のテーマ
『涅槃経』は岩波文庫では『ブッダ最後の旅』と訳されているとおり、ブッダの臨終の旅の様子を示した経典です。ブッダの苦悩の引き受け方に焦点をあてて『涅槃経』は書かれています。有名な自洲法洲のエピソードやヴァッジ国の七不衰法などの話が出てきます。
悟りに至る修行法の各段階を示す七覚支
『涅槃経』では前回触れた八正道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)と七覚支(しちかくし)が修行の際に最も意識すべきものだと考えられいます。
七覚支は念・択法(ちゃくほう)・精進・喜・軽安・定・捨という順番に悟りに至る修行法が説かれています。七覚支は七菩提分と呼ばれることもあります。それぞれどのような段階かは以下をみてください。
- 念 自らの行為や思考を点検する
- 択法 念を智慧によって分析
- 精進 怠ることなく励む
- 喜 心に喜びが生じる
- 軽安 心身が軽やかになる
- 定 心身が統一されて安らかになる
- 捨 すべての執着から離れること
以上が七覚支の修行法の概略です。七覚支を守って修行することで悟りに至ることができる、と『涅槃経』をつくりだした人々は考えていました。
さらに最初の念は四念処という4つの念から構成されます。身・受・心・法の四つに気をつけることが四念処です。
自洲法洲の教え
『涅槃経』で一番有名な言葉が「自洲法洲(じすほっす)」でしょう。
自洲法洲とは、ブッダが亡くなった後に何をよりどころとすればよいのですか、という問に答えて出された言葉です。この言葉は、自分自身をよりどころとして、他をよりどころとしてはいけない。仏法をよりどころとして、他をよりどころとしてはいけない、という意味です。
簡単にいうと、まず自分自身でどう思い、どう考えるかを重視しなさい。それでも迷うようであれば、私(ブッダ)が生きていたらどう答えるかを考えて判断しなさい。自分自身と仏法以外の何者に頼ろうとしてもなりません、ということです。
仏教は結局、自分自身を向上させ、自分自身で判断することが最終目的として説かれている教えなんです。だから、悟りとか涅槃とかいう言葉も大事ですが、それは他によりかかって存在するのではなく、自分自身が達することができたと考えることができるかが大事になってくるのです。
怠ることなく努めなさい
『涅槃経』のブッダの臨終の場面で出てくる他の有名な言葉は、「怠ることなく努めなさい」という言葉です。そういった意味では、仏教において自助努力というのは義務に近いものであって、仏教の根幹をなしていた概念でありました。
『涅槃経』の要点
苦を認識することから仏教ははじまります。ブッダ自身、四門出遊のエピソードがあるくらい苦の問題から逃れるために出家したのでした。悟りを開いたブッダは、縁起説と四諦を悟って、世界の真理を知りました。そして死ぬまで怠ることなく努めて過ごしました。自分の修行とは別に、弟子たちやブッダを慕う人々にも声をかけました。
涅槃経』では、執着心をすてれば老病死は解決するといいます。とはいえ病で起こる痛みはしっかりと受け入れて、耐え忍びつつ、心を平静に保ち、弟子たちを思いやりました。
『涅槃経』を読んでみると、ブッダの生き様の一端が見えます。一度ぜひよんでみてくださいね。以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。