人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

ことばの創造性について

2021/05/13
 
この記事を書いている人 - WRITER -
哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
詳しいプロフィールはこちら

どうもこんばんは、たかはしさとしです。今日はオフィス勤務だったんですが、オフィスの中が意外と暑くて、半袖のTシャツでも暖かいくらいの温度なのです。半袖の襟付きTシャツがユニフォームみたいな取り決めになっていて、そこでIT関係で困ったことがあったらぼくのところにもってきて、困ったことの解決を社内のみでやっている仕事をしています。

それはさておき、今日は言語の創造性についてみていこうと思います。昨日の記事の続編的内容になっていますので、まだ読んでいない方は以下の内容も読んでおいてくださいね。

前回の記事はこちら。


前回のおさらい

言語の成立以降は、ある言語体系の内部では、シニフィアンシニフィエは必然的な結びつきがあり、これは壊せないものでした。そして主観的なことばの表現そのものであるシニフィアンと、客観的な事実であるシニフィエの関係は、主観的なシニフィアンが客観的なシニフィエを規定するのでした。つまり思考の中身はシニフィアンの連合なのですが、このシニフィアンの表現によってわれわれはモノ、つまりシニフィエの見え方も変わってくるのです。前回はここまで見ました。

あなたがことばを通じて世界を作る

主観的なことばにより、客観的な世界を把握しているということは、あなたの主観が世界をつくるということなのです。
ことばが世界を作る、ということはこれがことばの創造性ということもできるでしょう。

新約聖書のヨハネによる福音書の1章には次のように記されています。

はじめにことばがありました。ことばは神とともにありました。ことばは神でありました。
すべてのものはことばによりできました。ことばによらないでできたものは何一つありませんでした。

キリスト教の考えでは、このことばとはイエス・キリストだと考えられています。ことばの持つ神性(人間が作ったとは思えない不思議な部分)をイエスの性質だとしてしまったんですね。

ことばの創造性の正体

それはともかく、聖書の引用した部分は言語哲学的な読み方もできると思います。ことばがあることで、はじめて世界があるということなんですね。実体的な世界が初めにあって、ことばが後から生まれた、というのは一見正しそうですが、ことばによって世界の見え方が変わる以上、ことばが先だと考えるほうが論理的です。

とにかくことばの枠組みが世界に意味を与えるのは、間違いありません。そして人間は意味を求める生き物ですから、ことばによってはじめて世界ができるのです。
これがことばの創造性の正体になります。

つまり新しいことばを作り出せば、あたらしい世界を作り出しているも同然なのです。
イノベーションとはそのような、新しい言葉や新しい概念の発見から生まれるのかもしれませんね。

以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

たかはしさとし しるす

この記事を書いている人 - WRITER -
哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
詳しいプロフィールはこちら

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Copyright© ニーチェマニア! , 2020 All Rights Reserved.