人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

かっこよく老いること、かっこわるく老いること

2021/05/13
 
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哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
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どうもこんばんは、たかはしさとしです。昨日、今日は仕事が結構忙しくなってきており、リモートでパソコンの使い方トレーニングをしたり、PCの故障箇所を見たりする件数が多くなってきました。仕事自体はとても好きなんですが、ずっとしゃべりっぱなしで休み時間も少ないと大変は大変です。でも楽しく働くことって本当に大事だな、って最近感じるんですよね。人の役に立っていることと自分が楽しいことが一致すると進歩し続けるしかないんじゃないかな、って最近思うんです。これを仏教では自利利他といいます。自分の利益とするところと、他人に利益となるようにすることが一致することをいうんですね。思えばお釈迦様は悟りを自分の最大の目標としてそれを成し遂げたのと同時に、他人にその悟りを伝えて助けることをより大きな喜びとなさいました。

4つの人間が制御できない苦しみ

さて仏教に関連して、今日は老いと老いに関連してに関するお話でございます。仏教では四苦といって、人間が必ず経験する4つのどうしようもない苦しみを挙げています。対象となるのが生老病死の4つの項目に伴う苦しみのことです。それぞれ生苦、老苦、病苦、死苦といいます。生きていることに伴う苦しみ、老いることに伴う苦しみ、病に伴う苦しみ、死に伴う苦しみ、といった意味ですが、悟った人はこれらを苦しみとしないことができると仏教では説くのです。だから正確にいえば、四苦とは悟りの境地にいたらない人が必ず経験する苦しみのことなんです。

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name=”87Ryg”>生は今日ではポジティブな意味で使われることが多いので、それがすべて苦だということは言いすぎなようなイメージがあるかもしれません。釈尊が生きた時代、実はインドでは生まれてきたこと自体が苦しみなんだ、輪廻から抜け出せない苦しみだ、と考えられたのです。輪廻についてはまた今度語ることにしましょう。ここでは輪廻とは生まれては死に、別のものに生まれ変わってまた死んでしまうという、そういう生と死が永遠に繰り返される概念のことを指すと考えておいてください。

老いることとか、病とか、死とかいうと今でもネガティブなイメージのほうが強いですよね。これらと苦しみが結びつくのはイメージしやすいと思います。とにかく仏教では、人間がコントロールできない苦しみと言い、代表的な4つの苦を四苦と言うんだ、というくらいおさえておけばOKです。

悟りと老い

釈尊や仏は老いない、といったような表現が仏典のなかでよくされます。むろん釈尊にせよ、ほかの仏にせよ、この世で人間として生まれてきて死に向かう存在である以上、肉体的な老いから逃れることはできません。それでも老いないと表現されているんですが、これはどういうことでしょうか。

要は次のことを指すんです。釈尊をはじめ、悟った人は精神的に老いることがない。だから悟った人は考えがいつまでも若々しく、固定観念に凝り固まった老人になることはないんです。

まとめると仏と老いの関係はこういうことです。肉体的には人間であるから誰でも老いるけど、悟ったらいつまでも心が若々しく、老人くさくなることはない。

かっこよく老いるとは

上の方では仏教と老いることの関係について考えてみました。

老いることは苦しみである。悟った人は老いない。つまり肉体的にはもちろん老いるけど、精神的に老いはしない。

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name=”DGHSp”>このようなことを仏教では言っています。上記の帰結はこういえるんじゃないかな。早速かんがえてみましょう。

肉体的な老いそのものは苦しみでもなんでもない。悟った人は精神的に老いないから苦から脱しているわけなので、実は精神的に老いることこそ、苦しみなんだ。

逆にいえば、精神的にいつでも若々しい人は、苦しまないって言えるんじゃないかな、と思います。

じゃあ、精神的に若々しいってなんでしょう。

たとえば、何事にも興味を持ち、

飽くなき探求心を持つこと、

感動を大切にして喜ぶときは喜び、悲しむときは悲しむこと、

人生を楽しみだと感じていること。

そのように身体が老いても、精神が若いとカッコいい老い方をしていることになるんじゃないかな、と思います。

かっこよく老いるとは、つまり、ただ年齢を重ねるだけじゃなくて、枯れた人ではなく、精神にどこか若々しい部分を残しながら老いることなのです。

かっこわるく老いる

かっこよく老いるの反対は、かっこわるく老いるということ。ただ年齢を重ねて枯れた老人として生きていく人は、あんまりかっこよくないと思います。これはネガティブなことなのであんまり書きたくはないんですが、そういう人っていますよね。

老いることと死

最初に死についても触れると書いてましたね。死にびくびくしながら老いるのは、あまりかっこいい生き方ではないですね。

いつ死んでも悔いがないくらい毎日を全力で生きている人は、とてもかっこいい生き方をしているな、とぼくは思います。

死を恐れるだけだと何もならないんですね。

死も実は人生の一部なんです。そして死は別に終わりでもなんでもない。

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name=”k8Ob7″>死を見据えて、自分の葬式の際に弔辞でなんと述べられたかが、周りから見たその人の生き方を要約したものだ、と言われることがあります。これはほんとうにそうだと思うので、弔辞でいつも全力で生きた人、ぽっくり逝っちゃった。悲しいけど、いつも元気を振りまいてくれたあの人のことだから、悲しむだけじゃなくて、元気に笑って送りだすのがあの人のためです、みたいな弔辞が読まれる人ってやっぱりかっこいいなあ、と思うんです。これは完全な主観ですけどね。

老いの先に死は確かにあります。でも死におびえるだけじゃなくて、死んでもなお影響力を残せる人がかっこいい生き様をした人でしょう。

かっこいい老いとかっこいい死についてのまとめ

肉体的に老いても、それを老いとしない生き方ができるようになることが、かっこよく老いるということです。死を意識して、死をただ恐れるのではなく、全力で今を生きる人は、いつ死んでもかっこよいですね。

そんな生き方に少しでも近づけるように人間力を高めます。最後まで読んでいただき、ありががとうございました。

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