人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

ソクラテスの衝撃

2021/05/13
 
この記事を書いている人 - WRITER -
哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
詳しいプロフィールはこちら

どうもたかはしさとしです。今日は仕事場まではるばる往復4時間かけて行っては帰ってきました。仕事もだいぶ慣れて参りました。ただ寒くなってきて、布団から出るのが辛いですね。仕事にいくものの最大の障害です。

ソクラテス登場以前の状況

さて今日はギリシア哲学の巨人ソクラテスのお話をしましょう。タレス以来、ギリシア哲学が探究してきたのは自然の構成要素や自然の成り立ちでした。イオニア地方という小アジアで哲学は始まったのです。それが時間を経てアテナイにやってきて少し経って、活躍したのは自然学者ではなく、ソフィストと呼ばれた人たちでした。ソフィストとは知恵者の意味ですが、論理学や詭弁術を弄する策士的なひとたちで、アテナイは民主制でしたから、あることないことを言って民衆の人気取りの方法を政治家志望の青年たちに教えていた人々でした。
ソフィストの代表者はプロタゴラスという人物です。プロタゴラスは相対主義を解きました。相対主義とは、絶対的なものなど何もない、という考え方のことです。すごくいま風の考え方ですよね。ただ絶対的なものなど何もないから、つまり真実など何もないから、何を言っても真実らしく見せれば良いという考え方が出てくるのです。だから詭弁を弄するわけです。そして相対主義からは懐疑論が生まれます。

ソクラテスの登場

<p
name=”s0IjO”>こうした状況下で出てきたのがソクラテスです。ソクラテスは方法的相対主義を取りました。つまり人と対話する際、相対主義を徹底すればどうなるかを試してみたのです。世間で知者と呼ばれた職業人、政治家、ソフィストなどのもとを訪れて、知恵とは何かを追い求めました
例えば政治家に善とは何かをソクラテスは尋ねます。そうすると、政治家は人々のために良いとを施すことである、と言ったとすれば、人々にとって良いこととは何か?と問いかけるわけです。そうして無限にそういったことをしていき、政治家が矛盾したことをいうと、その矛盾を指摘して「あなたは本当の善を知らないのだ。私は何も知らないことだけ知っている。その点で私は知者だ」というのです。実際、この問答だけ見れば、ソフィストと大して変わらないように見えます。それはソクラテスが方法的相対主義を取っているからですが、実はソクラテスは当時のアテナイの人々からはソフィストの1人と扱われていたのです。アリストファネスの『雲』にそういう風なソクラテスが描かれています。

無知の知について

とにかくここで大事なのは、方法的相対主義を徹底すれば、私は無知だが、そのことを知っている点で他の知者より私ソクラテスの方が知恵がある、という結論が引き出せたことなのです。これが無知の自覚とか無知の知と呼ばれるものです。

真実なる知恵を愛する者

さらに大事なのは、自分は知恵を愛する者だ、とソクラテスが自身を規定したことです。無知ゆえに真なる知恵を愛して、知恵を追い求め続けるのです。知者だと自分が思っていたら、新たに知ることは少ないわけですが、どんなに知識があってもら自分が無知だと自覚していたら、知識や知恵をいくらでも取り入れようと努力するのです。学ぶ姿勢の違いですね。

<p
name=”UNLSc”>このように知恵を愛したソクラテスでしたが、彼ソクラテスが愛した知恵とは、ソフィストの相対的な知恵とは違います。ソクラテスは絶対的に真理である知恵を愛したのです。相対的にいくらでも作り出せる真理であれば、愛するには値しないことになるでしょう。

想起説

では無知である私が知識を得るにはどうすればよいのでしょうか。ソクラテスは魂は天界にいるとき、すべてを知っていたが、地上で人として魂が下りてきたとき、すべてを忘れてしまったのだ、と考えました。そして知識を思い出すきっかけに触れると、その部分の知識を完全に思い出して理解できるようになるのだ、と考えました。この魂が思い出す考え方を特に想起説と呼びます。

世界に関する知識より人間、自己を本当に知る知恵を求める

タレス以来、哲学者は自然や世界を動かす要因を考えたり、世の中をコントロールする知識を得ようとしました。ところがソクラテスは”ただ生きるのではなく、よりよく生きること”が大事だと言いました。結局、世界に関する知識をいくら探求したところで、生き方に影響を与えることはほとんどありません。ソクラテスはそんな世界に関する知識を探求するよりも、よりよく生きるための知恵こそが本当の知恵だと考えました。よりよく生きるためには自分を知らなければなりません。それゆえソクラテスは倫理学の祖ともいわれています。

ソクラテス的転回はギリシアに衝撃を与えた

<p
name=”rXrEM”>このように、ソクラテスはいろんな点でこれまでの考え方とは一線を画した哲学を唱えました。こうしたソクラテスの存在は、アテナイに衝撃を与え、それは波及してギリシア全土に広まりました。その結果、人々は世界に関する探究をするのをやめて(最後の自然学者は原子論を唱えた笑う哲学者デモクリトス)、倫理学を中心とした哲学を唱えはじめました。ソクラテスの弟子、プラトンの政治学もこの流れにありますし、アリストテレスのニコニマス倫理学、エピクロスの快楽主義、ストア派の禁欲主義も全部倫理思想だと言ってもいいすぎではありません。

もっともアリストテレスは自然学を受け継ぎ、大成させて多大なる影響をイスラームや中世西洋社会に与えました。その話はいずれまたしましょう、

以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

たかはしさとし しるす

</p
</p
</p

この記事を書いている人 - WRITER -
哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
詳しいプロフィールはこちら

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Copyright© ニーチェマニア! , 2020 All Rights Reserved.