自由の実現に必要なもの|尊敬
どうもこんばんは、たかはしさとしです。今日の大阪は比較的温かく、昼間に外に出てもそんなに寒くなかったです。昼食はひさしぶりに450円のかつ丼セット(かつ丼+うどんORそば)を食べてきました。とてもおいしく、450円とは思えないクオリティのかつ丼が出てきます。そういう店がオフィスの近くに会って今思えばとても恵まれておりますね。
前回の記事|持つこととあること
所有は支配のためにあるのです。その所有の反対にある概念は愛です。ただ存在する、それだけで認められる社会が大事なのです。
まだ読んでいない方は是非読んでみてくださいね。
自由とはなにか
今日はヘーゲル哲学の触り的な解説となります。ヘーゲルによれば、歴史とは自由の自己実現過程です。そしてはじめは自由が少数者しかもっていない社会から、大多数の人間が自由を持っている社会へと進むとヘーゲルは考えたのです。
まずアジア的な皇帝や王を中心とした専制制度があります。この専制制度では、完全に自由にふるまうことができるのは、皇帝や王ただ一人です。
次に現れる政治が共和制です。貴族が王や皇帝を補佐して、形の上では王や皇帝に自由があるとされますが、実際は王や皇帝より少数者の貴族が自由をもっている存在になるのです。
そして最後に民主制が現れます。市民や国民が対等な関係で、すべての人が自由を持っている状態だということができます。自分の自由が最大化されるには、結局他の人の自由を認め、他の人と尊敬しあえる関係になることが最も近道だ、とヘーゲルは考えます。
つまりここでの自由は最高度の自由です。そして他の人と協力して尊敬しあえる仕組みを作ることが大事だと自覚することこそ、最高度の自由なのです。
民主制
古代ギリシアにも民主制がありました。しかし古代アテナイを中心とした民主制は結局奴隷制をもとにしたものでした。だから古代ギリシアの自由は最高度のものではありません。奴隷に支えられた民主制だったからです。
各市民がすべての構成員同士、お互いに大事にしあう社会こそ、本当に自由が実現できる環境だとヘーゲルは考えています。つまりお互いが尊敬しあえる環境さえできれば、自由は最高のものになるのです。
寛容と尊敬
自由にはある程度の寛容性も必要でしょう。それぞれの文化で違うことを教えていたとしても、それを許すことができること、それが結果的に尊敬につながってきました。
尊敬しあうには寛容性が必要だし、尊敬できる人なら自然と寛容性を持っているのです。
だから寛容性をはぐくんだ人間は、尊敬する関係が結びやすい分だけ得しています。
以上、尊敬と自由についてみてきました。最後まで読んでいただき、ありごとうございました。
たかはしさとししるす