人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

ドイツ観念論の哲学5 ヘーゲル4 まとめ

2021/05/13
 
この記事を書いている人 - WRITER -
哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
詳しいプロフィールはこちら

どうもこんばんは、たかはしさとしです。今日ははじめてバリウムを飲み、健康診断を受けてきました。結果が出るのは2週間後なのですが、悪いとこはあると思うので、それをちゃんと直すようにします。そういうところも全力で今を生きることができるようにします。

前回までの記事

前回はヘーゲル3ということで、用語解説をお送りしました。今回のヘーゲル4はヘーゲル1~3のまとめです。前回の記事のリンクは以下から飛べます。

ヘーゲル1はヘーゲルの生き方と思想の簡単な解説、

ヘーゲル2、3はヘーゲルの用語解説となっております。

まだ全部読んでいない方は上のリンクから、1までさかのぼることができるようになっていますので、ぜひ全部読んでみてくださいね。それではまとめに入っていきましょう。

ドイツ観念論思想の総括

ヘーゲルドイツ観念論の大成者と言われています。ドイツ観念論とはどういう思想でしたか。覚えていますか。カント以前、観念論といえば代表者はバークリーです。イギリス経験論の哲学者であったバークリーは唯心論的かつ主観的観念論を唱え、物質の存在を否定しました。バークリーは”存在することとは知覚することである”という有名な言葉で知られています。ちなみに観念論の対義語は、唯物論です。

<p
name=”i8MRe”>このバークリーの主観的観念論に対して、カントが混同をさけるように、カント自身の立場を超越論的観念論であるといったのがドイツ観念論の始まりとされています。超越論的観念論とは、経験に由来しない純粋な理性からつくられた観念論という意味です。バークリーの主観的観念論はすべて存在するとは知覚することだ、といいましたが、つまりこれは存在するとは経験することだ、と言い換えをすることができます。すべて経験がありきで、経験に由来しない観念や能力などは認めていないのです。それに対してカントは、経験に基づかない理性という能力を認めて、その理性から生まれた観念論を説いたのです。観念論は、認識の客観的根拠を物質などの客観的実在ではなく、主観の中に求めます。バークリーはここでいう主観を個々の経験とそれに基づいた感覚に求めたのです。ですが、カントがいう主観とはまさしく理性能力そのものだと言っているのです。

この流れを受けて、フィヒテ・シェリング・ヘーゲルが登場しました。カントの超越論的観念論とは違い、自然と歴史を通じて普遍的な理念の自己実現の場として世界がある、と主張したのが彼らでした。自然に対して精神があり、その精神は弁証法的に発展するのだというのがドイツ観念論の哲学の共通認識です。

ヘーゲルの思想まとめ

ヘーゲルの著作、たとえば『精神現象学』を翻訳でもいいので読んでみましょう。哲学書を読みなれていない方なら、何が書いてあるかさっぱりわかりません。意味不明な文章の羅列だとさえ、考える人がいるかもしれません。

<p
name=”2w6xZ”>ヘーゲルの独自の思想を切り開いた最初の著作はその『精神現象学』です。『精神現象学』の目次を見れば、常に1つの項目の下に3つの項目があることがわかると思います。『精神現象学』では人間の意識からはじまって、自己意識、理性、精神と進んでいきますが、これが人類史の発展の段階と呼応しているんですね。そして3つの項目ですすむというのは、1番目の項目が正命題、2番目の項目が反命題、1番目の項目と2番目の項目を止揚して、問題解決した3番目の項目が総合命題となっており、つまりは弁証法的に発展することを示しているんですね。『精神現象学』以降のヘーゲルの哲学書はこういう形で書かれていることが多いです。

ヘーゲルで押さえておきたい点が2つあります。一方がヘーゲルの人倫の弁証法的発展段階、もう一方が自由の自己実現過程としての歴史です。

人倫は家族から市民社会を経て国家へといたって発展する、とヘーゲルは説きました。基礎的な生活の共同体である家族は、愛情を基本原理として結束しています。しかし、家族は教育を通して子供を社会人として独立させる役割を負います。さらに家族の扶養にために、社秋に出て他者と共同・競争しながら生活せざるを得ません。愛情を基礎に自足する共同体である家族は、競争と欲望といった愛とは正反対の基本原理を持つ市民社会を前提に成り立っているのです。市民社会は成員の自由を最高原理とする共同体です。市民社会の成員は自由かつ平等であって、各人が自由を最大限に行使しようとして、自分の欲望を実現させようとした結果、競争が起きるのです。

だからこそヘーゲルは国家という家族と市民社会を総合する場が必要だと説きます。自由と愛のそれぞれの問題点を解決した国家は、自由がもっともよく実現される場であるとともに、地上における神の国(つまり愛が最も実現される場)であると説きました。

<p
name=”OtT3s”>自由と歴史の関係についていえば、人間一人の自由が大事にされた政治形態から、人間の一部の自由が尊重される社会へと発展し、最後にすべての人間が自由を発揮できる社会へと行き着くと考えました。その自由の発展において、歴史を見ることで確認することができる、とヘーゲルは考えたのです。

以上、ヘーゲル思想の要点とまとめをお送りしました。ドイツ観念論についての復習もここに含めておきました。理解できていなかったところは、チェックしておいてくださいね。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

</p
</p
</p

この記事を書いている人 - WRITER -
哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
詳しいプロフィールはこちら

Comment

  1. こんにちは
    私はカントとかヘーゲルと言う哲学者は全く評価しません。哲学とは言葉の本質を探究することです。彼らは「自由」を多発しますが自由の本当の意味を分かっていません。自由や愛や善を分かっている前提で書いているのです。特に精神の定義が出来ていません。精神とは心のことです。心とは自己保存、種族保存の為にある本能的プログラムと理性により得たプログラムにより生じる現象です。
    近代の哲学者は言葉を分かっていると言うソクラテスに論破された無知な人たちなのです。ですからヘーゲルもその一人です。現代の哲学はソフィスト哲学であり、言葉の本質を探究しようとする本当の哲学ではないと考えます。哲学とは本来、イデアを探究する学問なのです。
    —–COMMENT:
    shinwoodさん
    カントやヘーゲルは確かに一般の人もそんなに評価していませんね。名前を知っているくらいでしょう。
    人々を評価するとかしないとかではなく、そういう考え方がある、と認識することがまずはオリジナルな哲学を構築するうえで非常に重要な概念です。
    ただ自分一人で考えぬいた考え方でも、昔の人がほとんど同じ考え方を提唱していたら、そのパクリだと言われても仕方ありませんよね。それをオリジナルな考え方だと称しても、世間の誰からも相手にされないのが本当のところではないでしょうか。

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Copyright© ニーチェマニア! , 2020 All Rights Reserved.