儒教の発展と朱子学の形成、陽明学の形成|高校倫理
儒教の発展
儒学は秦代に焚書坑儒をうけて滅びかけましたが、漢代には中国の中心的な思想になりました。そして隋や唐代には科挙の試験科目になりました。宋代、論語・孟子・大学・中庸の四書が必須の教養書だとされて、宋学と呼ばれる新しい儒学である儒教が形成されました。
宋学は仏教の出家主義や老荘思想の無為自然などの脱社会的な傾向を批判しました。とはいえ、理論的な体系を仏教や老荘思想から借りてきて、宋学が発展した側面ももちろんあります。学問を積み国家を支える有能な人材になる政治的な理想が宋学では特に重視されました。やがて儒教は、朝鮮や日本などにも伝わり道徳の基礎となりました。
宋学の大家・朱子
朱子(朱熹)は宋学を大成して、その教えは朱子学と呼ばれました。朱子学によれば、すべてのものは生命力をもった物質的要素である気と、秩序や法則などである理から成り立っている理気二元論が説かれました。こうした部分は老荘思想の影響を強く受けています。
理はすべてのものを根拠づけている法則であり、人の世界においては、社会を秩序づける客観的な制度や法としてあらわれるといいます。朱子のいう理は仏教でいう法、道教でいう道と似た概念です。人間の心は性と情にわかれ、感情に乱されない性の部分が世界を秩序づける理にかなっていると朱子は考えました。理性といって二つの語を一緒にして、感情と対立させる用法はここから始まりました。
しかし通常、性は感情に覆われていて隠れてしまっています。そこで立ち振る舞いを厳格にして、感情や欲など気の要素をつつしむ姿勢である居敬・持敬の実践が必要だと朱子は考えました。敬はつつしみという意味で、情欲や感情の動きをおさえ、物事の道理である理と自己が一体になることを朱子は重視しました。心を理に集中させる存心、ものごとの理を明らかにする究理居敬が生き方の基本です。
四書のひとつである『大学』には、身をしっかり修めるものが、家庭を治め、国を治め、天下を平定するというようなことが書かれています。朱子学では、理は人間社会では国家の秩序や制度となってあらわれるということから、この大学の考え方を取り入れ、修身、斉家、治国、平天下が人生の目標とされました。
道徳的な社会秩序を重視する朱子学は、中国だけではなく、朝鮮や日本、ベトナムに伝わりました。日本では江戸時代、林羅山が武士の道徳として朱子学を取り入れたのをきっかけに、朱子学は道徳の中心に君臨しました。
実学を重視した王陽明
明の時代、王陽明は陽明学という実践的な儒教を説きました。理論重視の朱子学を批判して、王陽明は「おのれの心がすなわち理である」(心即理)と説き、すべての人間の心の中から、ものごとの正しい道理である理が生まれると考えました。
理は朱子学のいうような宇宙の客観的な法則などではなく、感情や意欲をもった生き生きとした人間の心の働きの中にあらわれるのです。心の中には、主体的な道徳の能力たる良知良能が働いています。この能力を十分に活動させ、誰でも善を実現することができる致良知の境地があります。
王陽明は毎日の生活の中で自己の仕事や使命に最善を尽くして、みずからの人格を錬磨することの重要性を説きます。そうすれば足下がしっかりして、心は平静でも、忙しいときでも安定するというのです。
道徳を学ぶことは毎日の行為の中で実践することと一体となっています。これを王陽明は知行合一と呼びました。「学問をすることははじめから実践だ」として、知識をそのまま実践に昇華する大事さを彼は強調します。