一般的なデカルト像|デカルト『方法序説』(岩波文庫、谷川多佳子訳)解説1
はじめに
昨年(2022年)の1月以来、人間塾に参加させていただいている私が、昨年末に推薦したデカルトの代表作『方法序説』が今年の課題本に選ばれたので、僭越ながらわかる範囲で解説を書かせて頂こうと決心して、この度筆を進めることにしました。自分の読みを深めるために知識を整理することが第一目的としてあり、その拙い知識整理ノートのようなものを皆さんに読んでいただくのもどうかな、と考えた節もありました。それでも、西洋哲学にあまり馴染みのない方の一助になるかもしれないと思い、この記事を公開します。
この『方法序説』解説記事の構成は以下の通りです。
- 一般的なデカルト像(この記事)
- デカルトの生涯
- 本書の成立経緯
- 各部解説
- 後世への影響と批判
- デカルトについての雑感
それでは上述した構成のとおり、見ていきましょう。
1.一般的なデカルト像
デカルトというと、イギリスのフランシス・ベーコンとともに近代哲学の父と称されるフランス出身の哲学者です。ベーコンがイギリス経験論の祖とされるのに対して、デカルトは大陸合理論の祖と言われています。イギリス経験論は、経験から一般的な法則を導出しようとする帰納法を特徴とします。それに対して、大陸合理論は、ある原理に基づいて論理的な推理によって確実な知識を導出しようとする演繹法を特徴とするとされます。デカルトは数学を学問のモデルとして考えていたので、公理に基づいて解をだす演繹的方法論と演繹に基づいて導かれた知識を重視したのは確かですが、当然この世の中の物理現象は人間が観察して、それを抽象化して理論化するという点で帰納法的手続きは必ず踏む必要がありますので、デカルトは帰納法を否定したわけではなく、むしろこの帰納法を積極的に用いて自然科学の研究を行いました。
デカルトは中世を支配した神学重視のスコラ学を否定して、新しい理性による哲学を打ち立てた、と言われています。結果的に見れば全くその通りです。ところがデカルト自身は神学をすべて否定しようと意図して、こうした哲学を打ち立てたわけではありません。デカルトはスコラ学を敵視したのではなく、スコラ学が真理ではないと否定しようとした当時の懐疑説を退けようとして、明確な哲学を打ち立てようとしたのでした。そうすることで結果的にスコラ学を過去のものにしたのです。デカルトは終生キリスト教の信仰を捨てようとはしなかったのです。『方法序説』の第4部でも神の存在証明が出てきたり、新教国のトップであったスウェーデン女王クリスティナをカトリックに改宗するきっかけを作ったのはデカルトだったと言われていることからも、それは伺えます。ただしバチカンのことをあまりよく思っていなかったのは、デカルトは生地フランスで活動をほとんどせずに、オランダで長く過ごして活動したことからも、確かなようです。
デカルトは方法的懐疑によって、あらゆるものを疑った末に、「考えるわれ」という原理を発見しました。“cogito,ergo sum”[コギト・エルゴ・スム。私は考える、故に私は存在する]というのが、その最も有名な言葉です。この「考えるわれ」から論理的な推論によって確実な真理が導かれるとデカルトは考えたのです。
デカルトは主著を4つ残しています。『方法序説』『哲学原理』『省察』『情念論』です。またデカルトは物心二元論を唱えたことでも有名です。
ここでまとめると、デカルトはその哲学によって神中心の哲学から人間を主体とした哲学への変容させた人物と思われていて、その人間中心の哲学のコアに理性(良識)があり、その理性は「考えるわれ」に由来すると言います。大陸合理論の祖とされていて、身体と精神は別物であるという心身二元論を展開しました。こうした捉え方は正しい部分もありつつも、それだけでデカルトは語れない、というのものまた真理でしょう。多面的なデカルト理解ができると、よりデカルト哲学の深みがわかってくると思います。
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別記事にて順次公開します。
次の記事は「デカルトの生涯」です。
最後までお読みいただきありがとうございました。