社会と自由の関係を考えた男について
2017/07/03
信念をもった一人の人間は、自分の利害にしか関心を示さない99人の人間と同等の社会的力を持つ
ジョン・スチュアート・ミル
どうも、哲学エヴァンジェリスト高橋聡です。前回は社会の進化について考えました。社会はある程度進化するという考え方は完全に間違いとは言わないものの、図式化しすぎるほど全人類社会を簡単に説明できるものでもないことがわかりました。ただし、西洋社会において自由が大幅に発達してきたことはデュルケムの指摘からもわかります。個人の尊重が人々の間で広まり、結果個人的自由が求められるようになったのです。
今日は時代は前後しますが、イギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の自由についての考えをみていきましょう。
最大多数の最大幸福
ミルは功利主義者として知られています。功利主義とは、簡単にいうと最大の多数者の最大の幸福こそ、社会の最大の幸福であるという考え方です。最大多数の最大幸福が国家運営の指標だ、と言いそれを実行しようとしたのが功利主義者です。ベンサムやミルが最大の論者です。自由に関連していうと、最大多数の最大幸福につながるように個人の自由を認めるべきだ、という考え方となります。法制度と自由
われわれは通常、法制度は自由をある程度抑圧するものであると考えています。個人の過度の自由を制限し、公共の福祉を損なわないようにするものが法制度だ、と考えるわけです。簡単にいうと法律は社会的善であり、個人の自由をある程度制限するのは仕方ないと考えるわけです。
これに対してミルは指摘します。社会的善と個人の自由はどちらも両立すべきであり、教育と世論の二つが協力しあって、社会的善と個人の自由の分離不可能な協同を確立しないといけない。そうしてはじめて、人々は自分自身の善や幸福だけではなく、国民全体の幸福や善を目指すことができるのだ。そう言うわけです。
だから、社会はすべての個人に幸福を追い求める自由をもたらすべきである、とミルはさらに続けて言います。そして、法制度は個人がその目標を追求する自由を保障するように制定すべき、という結論が出ます。
自由の政治家ミル
ミルは上のように言ったわけですが、実際に政治家としても活動しています。
政治家として自由な発言の保障をし、基本的人権を尊重し、奴隷制を撤廃すべきだと説きました。さらにイギリスではじめて、女性の参政権を認めるべきだということを説いた国家議員となったのです。
さらにミルは自由主義経済学を説いています。アダム・スミス以来、政府の介入は最小限にすべきだという経済学者が多かったですが、ミルもその一人として活動したのでした。
ミルがその功利主義哲学の中心としたのは、社会ではなく個人でした。だから重要なのは、個人が干渉されることなく、好きなように考え行動する自由を保障することでした。ミルは『自由論』の中で言います。あらゆる個人が「自分自身の身体と精神にたいする主権者」であると。
まとめ
ミルは最大多数の最大幸福を求める功利主義哲学者として登場し、実際にその質的功利主義に即した自由や社会のあり方を模索しました。法制度と自由を両立させ、なおかつ個人がつねに幸福を追求する自由を第一におきました。法制度の成立にも関わった国会議員ミルは、その法制度が個人のその目標を追求する自由を保障するように制定すべきだとして、発言権、基本的人権、人種的差別からの自由、さらには女性の自由までも求める政治運動を起こしたのです。その点彼は一貫性のある行動をしました。社会が個人を干渉するのではなく、好きなように考え行動する自由を与えることで、結果的に社会全体が幸福になることを理想としたミル。しかしミルも自分自身に対する主権者として振る舞うべき、自制ある行動をもちろん求めていた部分を忘れてはいけません。
ぼくはミルの哲学はとてもわかりやすいと思います。もちろん実践する上で難しい部分もたくさん出てきます。でも一貫性のある人生を送れたミルは幸せ者だと感じます。全面的にミルの哲学に賛成するわけではありませんが、このような生き方、いいと思いませんか。社会と自由の考え方もとてもわかりやすいものです。
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