自分の解釈は難しい。他人の意見を取り入れよ–ニーチェ『愉しい学問』<序曲>への注釈3
どうも、哲学エバンジェリスト高橋 聡です。蒸し暑い日が続くこの頃。今日もニーチェの『愉しい学問』(別訳『悦ばしき知識』)の<序曲>への注釈を記したいと思います。なお、引用はすべて講談社学術文庫版『愉しい学問』森一郎訳からです。では早速見ていきましょう!
23番 解釈
自分で自分を解釈しても、自分を置き入れるだけのこと。
私は私自身の解釈者にはなれない。
でも、自分自身の道をひたすら登っていく者なら、
私の像(すがた)も、まばゆい陽光へ引っぱり出してくれる。
自分のことは自分では完全にはわからない
自分で自分を解釈することは本質的にはできないとニーチェは言う。だからこそぼくは、自分を解釈するには周りの人の意見をたくさん聞く必要があるのだと思う。自分の道を突き進め
自分で自分を解釈できなくても、自分の道をつきすすんだなら、自分自身の姿も目立つ場所へでてこれるようになるんだ。周りに影響されすぎず、かつ周りを軽んじすぎずに自分の心の芯をもって行動すること、そして継続することの大事さをニーチェは教えてくれる。28番 初心者のための慰め
子どもが、ブーブーうなる豚どもに囲まれて、
途方に暮れ、足の指まで萎縮させて佇んでいる。
泣くことならできる。いや、もう泣くしかない−−
いつか立って歩ける日が来るのだろうか。
怯むな。私に言わせれば、まもなく、
子どもは踊ってみせるようになるだろうさ。
両足でしかと立てるようになったあかつきには、
逆立ちだってできるようになるだろう。
畜群に囲まれても怯むな
”ブーブーうなる豚ども”とは、ニーチェの言葉では”畜群”と表現される、人間が多数の集団で集まって少数の強者たちをこき下ろす態度を指す。”子ども”と表現されているのが、初心者だとすれば、あなたもブーブーうなる豚のような人たちに反対されることもあるかもしれない。泣くのは誰でもできるし、いつか独り立ちできる日なんて本当に来るのかと思うときもある。でもそんな言葉に怯む必要はない。立って歩くことは当たり前、踊るようにすらなる。楽しんで初心者はなすべきことをなすようになるのだ。逆立ちだって、なんだってできるようになる。
ここでニーチェが言いたいのは結局のところ、周りの雑音ばかり気にして行動をおろそかにするなということ。自分が好きなことがあれば、初心者であろうとそうでなかろうと、雑音を無視してでも独り立ちし、楽しんでなすべきことをなすようになれば勝ちだってわけだ。自分がやってみたいことをまずはやってみよ、とも取れる。決して人の周りを取り囲む豚どもにはなりたくないもの。