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上座部仏教と大乗仏教|高校倫理


仏教の二つの潮流

ブッダは人間を超えた神の存在を説きませんでた。ブッダは人間一人一人が自分をよりどころとして、自分の努力で真理を悟って人生の苦しみを克服する道を説きました。つまり人間は生きながらにして神などの超越的な力を借りずに仏(=覚者)となるのです。だから神を信奉するキリスト教やイスラームからは仏教は無神論的宗教であるとみなされました。

ところがのちの時代になると、ブッダやブッダの教えは神格化されました。そしてその神格化された対象はやがて崇拝されるようになりました。

ブッダが亡くなってしばらくして、仏教は保守派の長老を中心とした上座部と、革新的な大衆部に分かれて20の部派に分かれました。この時代を部派仏教の時代と呼びます。やがて、この中から上座部仏教大乗仏教というふたつの大きな教派が生まれました。それぞれの教派がブッダの教えを受け継ぎました。

上座部仏教

上座部仏教はブッダの自力救済の精神を受け継ぎました。厳しい戒律と修行によって欲望を断ち切って、個人の悟りを完成させた阿羅漢(アラハット)になることを目指しました。上座部仏教はスリランカやミャンマー・タイなどに広がりました。南に広がった上座部仏教は南伝仏教ともよばれます。

大乗仏教

大乗仏教は紀元前1世紀から紀元後2世紀にかけて在家の信者を中心とした仏教の改革運動によって形成されました。

大乗仏教はブッダの慈悲の精神を受け継ぎました。そして生きているものすべて(衆生)の救済をめざしました。大乗とは大きな乗り物という意味で、すべての衆生を乗せて救済する、ということです。これに対して小乗仏教は個人の悟りの完成をめざす上座部仏教に大乗仏教側からつけられた批判的な呼び方です。

大乗仏教は中国や朝鮮に伝わり、やがて日本に広がりました。またチベットに伝わった大乗仏教は独自のチベット仏教へと発展しました。

大乗仏教では悟りの完成を目指す聖者である阿羅漢ではなく、衆生を救済する利他行の完成者である菩薩(ボーディサットヴァ)を重視します。自らを犠牲にして人々を救う菩薩は慈悲に生きる人間の理想像であり、同時に模範でもあります。

大乗仏教では上座部の四諦八正道の代わりに、修行者が実践すべき六つの徳目として六波羅蜜が説かれます。波羅蜜とはパーラミータの音写で、迷いの世界から真実の世界へと渡ることを意味します。六波羅蜜にはものや教えを与える布施、戒律を守る持戒、迫害や苦しみをたえしのぶ忍辱(にんにく)、悟りを求めて衆生救済の努力をする精進、精神統一である禅定、一切が空であることを悟って迷いの世界を離れる智恵(般若)の六つを完成させることです。

空の思想と唯識思想

大乗仏教の最初の理論的指導者が紀元後3世紀の龍樹(ナーガルジュナ)です。龍樹は空の思想家として知られています。空とはすべての存在が不変の実体をもたない無自性であることと関係していて、ブッダの縁起説を発展させた理論です。龍樹によると空を悟れば、物事のあるがままの実相を見ることができるといいます。

4世紀頃にはアサンガ(無著・無着)ヴァスバンドゥ(世親)が外の世界のすべてのものは存在せずに、心の根底の働きであるアーラヤ識が、空の中に存在を書き出したものだという唯識の思想を説きました。

外の世界のさまざまな存在が心の根底に起因するもので、それ自体の本性をもたないことを悟ることによって迷いの世界から抜け出すことができるのです。唯識の思想は意識の実在を認める唯心論的な立ち場にたつ仏教哲学で、すべての実在を否定する空の思想との違いはそこにあります。

以上、今回は大乗仏教の考え方について見てきました。倫理の範囲なのでぜひ復習しておいてくださいね。

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