自由型正義論としてのリバタリアニズムについて考える|正義論
2021/08/29
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どうもこんばんは、高橋聡です。前回は福利型正義論としての功利主義についてみてきました。福利型正義論では、福利(社会の幸福)の最大化を目指すことを念頭におかれていました。前回の記事は次のリンクからたどれます。
三つの正義論おさらい
サンデルによると- 福利型正義論
- 自由型正義論
- 美徳型正義論
義務論/権利論としての自由型正義論
自由型正義論の話に入っていきます。自由型正義論は、義務論と呼ばれる哲学分野と特に関連が深いんです。広く義務論とは、非帰結主義的倫理学、あるいは非功利主義的倫理学のことをいいます。「行為は道徳的原理や法則にしたがって義務としてなされるべきである。行為の結果、帰結の善し悪しは考慮しない」というのが義務論と呼ばれる考え方の中心をなす部分です。その義務論の中に、権利を基礎となす理論があります。リバタリアニズムはその権利を基礎となす理論の一つです。ここでは総称して「義務・権利論」と呼ぶことにします。
リバタリアニズムの前提
リバタリアニズムは人間はそれぞれ別の分離した個別的実体だと考えて、個々人の自由な意思を尊重しようとします。リベラリズムと区別するために、日本語訳では「自由至上主義」「自由尊重主義」と訳されることも多いです。リバタリアニズムのいう自由は、リベラリズムでさす自由より範囲が広いのです。リバタリアニズムでは政治的自由だけではなく、企業や組織の経済的自由も重視します。リバタリアニズムが最も重視する権利は私的所有権です。個々人が私的所有権を主張して自由を行使する社会をつくるのがリバタリアニズムにとっての理想だと考えればよいでしょう。そうすると、市場経済を重視する思想となることもわかります。
ネオ・リベラリズムとリバタリアニズムの類似点
経済政策において、市場経済の効率化をはかる諸政策を主張するネオ・リベラリズムの主張とリバタリアニズムの考え方は共通点が多いです。イギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権、日本だと中曽根内閣の国鉄民営化や小泉内閣の郵政民営化の形で政策がとられました。ノージックの考え方
アメリカには大富豪が存在して、貧富の格差が激しく、リバタリアニズムはその中で市場経済における自由を重視して、税金による富の再分配機能も不要だと主張します。さらに、リバタリアニズムでは、国は市場経済への関与をできるだけ減らし、治安を守りさえすればいいと考えます。シートベルト着用法のようなパターナリズム(父親的温情主義)や売春禁止法のような法律に道徳的な考え方を加えた道徳的法律、課税による所得や富の再分配、これらすべてをリバタリアニストは拒否します。このリバタリアニズムの代表者がハーバード大学の哲学教授だったロバート・ノージックです。ノージックによると、はじめからもっていた初期財産が不正によって得られたものでない「初期財産の正義」と、不正によって他人から財産を奪い取ったのではない「移転の正義」の二つが満たされていた場合は、すべて正義に適っていると考えます。だからこそ、国家が課税によって強制的に財産を取り上げることも赦されない、とリバタリアニズムでは考えるのです。
この根底にあるのが自己所有の考え方です。人間は肉体を所有していて、つまり自己を所有している。自分が肉体を使って労働すると、その労働の成果も自己が所有することになります。労働の成果でうまれた財産も自己が所有することになるので、結果的に肉体から財産まで自己の所有物だと考えるのが自己所有の考え方なのです。
この自己所有の考え方によれば、自分の労働で得た対価である財産は、初期財産の正義と移転の正義が適っている限り、所有権を持つことになるのです。結果、国家による課税は、国家による強制搾取であり、強制的な労働と同じ事だとリバタリアニズムでは考えます。
リバタリアニズム批判
リバタリアニズムへの反論の中に、高額所得者である当事者も結局、才能を持っていたのは偶然で、たとえ努力でそれを磨いたとしても、その人が活躍できる社会環境がたまたまそこにあったから高収入を得ることができた、とするものがあります。だからこそ、その当事者がすべてを彼自身のものにする権利があるとはとても言い切れないのです。つまりここで、自己所有権の考え方を主張し、それを絶対とするリバタリアニズムへの批判がなされているのです。リバタリアニズムの考え方を徹底すると、たとえば自殺幇助は「自分の命の持ち主は自分だから、自分の命を終える自由があり、それを規制することはできない。それを医師に助けてもらうことも自由だ」という議論になってしまいます。リバタリアニズムを徹底すると極端な結果が導かれるので、リバタリアニズムの論理をすべて許容することはむずかしいといえるでしょう。
リバタリアニズム、ネオ・リベラリズム、リベラリズム
ネオ・リベラリズムは、市場の効率を最大化し、経済成長という結果を実現するという経済学的な議論です。その点では哲学的には功利主義や帰結主義の考え方と近いといえます。対してリバタリアニズムは哲学的な原理を主張します。リバタリアニズムは自由を行使することを重視する自由型正義論、義務・権利論の一種として扱うことができる考え方です。
また、リバタリアニズムは自己所有の考え方を特段重視します。課税や福祉政策への反対はもちろん、妊娠中絶の擁護などの経済的な議論だけでは解決できない文化的問題についても主張を行います。そういう意味で、リバタリアニズムは最大限に個人が自由を行使できる社会を目指しているのがわかります。ネオ・リベラリズムでは、経済的な問題に対しての議論に限定されてきます。
リベラリズムとは、もともとはヨーロッパで生まれた考え方で、政治的自由を特に重視する考え方のことです。ヨーロッパのリベラリズムはここではおいておきましょう。見ていくのはアメリカのリベラリズムです。
アメリカのリベラリズムは、政治的自由が行使できることを前提としています。ネオ・リベラリズムやリバタリアニズムが経済的自由を強調する保守主義と密接に関係するのに対して、アメリカのリベラリズムは福祉の擁護など進歩的な思想と関連があります。
アメリカの政治哲学でいうリベラリズムは、善などの倫理的価値と自由や権利の概念が切り離されているため、非倫理的自由主義ということができます。
功利主義的なネオ・リベラリズムにおいても、リバタリアニズムやリベラリズムにおいても、これまでアメリカの政治哲学では、正義ということばに宗教性や倫理性などは含まれていないと考えられてきました。これで本当に正義の概念が定義できるのか、というのがサンデルの主張したいところなのです。
本記事のまとめ:リバタリアニズムとは
リバタリアニズムはアメリカの哲学者ロバート・ノージックが創始者で、政治的自由のみならず経済的自由を最大限享受できる環境が最も素晴らしいと考えました。その中心となっている考え方が自己所有の考え方です。自分は肉体を所有し、肉体がなした労働の成果もまた自分の所有物だ、とリバタリアニズムでは考えるのです。その議論を徹底すると、売春も完全に正当化され、自殺幇助も正当化されてしまう危険性があります。だからこそリバタリアニズムには賛同できないというのがサンデルのいいたいところでしょう。以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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