人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

ロールズの自由型正義論|正義論

2021/08/31
 
この記事を書いている人 - WRITER -
哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
詳しいプロフィールはこちら


どうもこんばんは、高橋聡です。本日は久々に暑くなりました。暑いと過ごしづらいですが、あまり気温が上がらなさすぎると野菜が不作になったりするので、適度に暑い日もあったほうがいいですよね。

さて前回はカントの道徳論についてみてきました。今回はロールズの正義論についてみていきたいと思います。

前回の記事|カントの道徳哲学

カントの道徳哲学は、自律を基礎としたものでした。傾向性を持つ人間は、傾向性を理性によって自律して、より高い道徳法則に従うべきだとカントは考えたのです。そこらへんの詳しい話は以下のリンクからたどって読んでみてください。

まだ読んでいない方、今回のロールズの前史に当たる部分をしっかり押さえたい方は是非よんでみてくださいね。

ロールズとカントの共通点

カントは正義は社会契約に由来するとします。そしてその社会契約である原始契約は、仮想上のもので、カントはこれを「理性の理念」と呼びます。ロールズはこの契約の考え方をカントから引き継いで展開しました。

ロールズの登場

社会契約論は、近代憲法の基本的原理となりました。しかしヒュームなどは社会契約は歴史的に存在しなかったとして、社会契約論を批判しました。そうした結果、社会契約論の影響力は衰えました。

さらに第二次大戦後、自然科学の方法論が社会科学にも影響を与えました。科学的で実証主義的、経験的な政治科学があらわれ、政治哲学は衰退しました。

そんな折りに登場したのがロールズです。ロールズはアメリカの哲学者で、1971年に『正義論』を刊行し、契約論的な議論を提示して政治哲学を復興させました。そんなわけで今日の政治哲学や正義論を考えるうえで、ロールズは外せない重要人物です。ここでは、ロールズの論理の骨子をみていきます。

無知のベール

ロールズは「原初状態」という仮設的な状態を想定します。すべての人が「無知のベール」をかけ、社会の基本的な原理に合意して契約しようとしている、という状況が原初状態です。この無知のベールは、自身の貧富や階級、人種、健康や容姿、能力や所属コミュニティなど具体的なことがわからなくなるベールのことをさします。このベールがない場合、自分自身の立場から物事を考えてしまって合意に達するのはむずかしい、とロールズは考えました。しかし自分がどんな立場の者かわからなくなれば、理性的に考えて行動しようとするから合意もしやすくなります。そこで全員が無知のベールをかぶった状態を想定すれば、全員が正義の原理に合意できるのです。だからこの仮設的な契約において、正義の原理に人びとは合意して契約する、とロールズは主張したのです。

ロールズの正義の二原理

ロールズが無知のベールのもとで合意した正義には、二つの原理があり、これを正義の二原理と呼びます。第一原理は「平等な基本的自由の原理」です。これは近代憲法における自由権と同じ概念だと考えればよいです。第二原理は二つからなり、一つ目が「格差原理」です。格差原理は「完全な結果の平等を必要とするのではなく、格差は認める。しかしその格差は最も恵まれない人たちにとって便益があるような格差である必要がある。その場合にのみ、経済的・社会的な不平等は許容される」というものです。第二原理のもうひとつのものは、「公正な機会均等原理」です。

ロールズの格差原理

格差原理について少し見ていきましょう。ロールズは完全な平等の実現を主張しません。「完全な平等のもとでは経済活動のモチベーションが維持できず、経済発展しないために、全体のパイを大きくできずに貧しい人を救うことはできない」というのが主な理由です。

とはいっても、ロールズはリバタリアニズムのような市場主義にも反対します。課税による再配分はリバタリアニズム論者にとっては不正義でした。ところが無知のベールのもとでは、自分が成功できる状況におかれているかもわからずに自分が貧しい人なのかもしれないと考えられるので、最も不遇な人でも便益を得ることができる程度に格差を是正する正義の原理に合意するだろう、とロールズは考えたのです。

そしてアメリカのような不平等の格差の大きい国では、豊かな人に課税をして貧しい人に与える福祉政策や再分配政策を正当化するのが格差原理なのです。その点では、同じ自由型正義論であるリバタリアニズムとロールズの正義論は一致しない点も多いのです。

契約の道徳的限界

通常、双方が同意すれば契約は成立すると考えます。ここで必要なのは契約を結ぶ意思と「自律性」です。ところが契約が公正でない場合もあるため、契約には当事者の便益の「互恵性」が必要なのです。

具体的にいえば、トイレの水漏れ修理の際、修理を頼む人と修理工が契約を結んでお金を渡して修理工に修理してもらう例があります。ところが修理工が法外な値段を請求することを行っていると、不公正かつ当事者双方の便益の互恵性がないと判断されることになります。実際、修理工は詐欺で逮捕されました。

サンデルはここで、契約は自由意志に基づく同意である、というロールズの考え方の限界を指摘します。この考え方には道徳的限界があります。

つまり当事者たちの立場や知識、能力などが違って、この自由原理に同意したところで互恵性があるかどうかはわからないので、契約が本当に有効かはわからないのです。ロールズの議論の限界は一つここにあります。

今回の記事のまとめ:ロールズの自由型正義論

ロールズは無知のベールという仮設的状況を想定し、人びとが自分の立場がわからないなら理性的判断を行うことになるだろうと想定しました。そしてそこで合意される正義は二つの原理を持ち、第一原理は平等な基本的自由の原理、第二原理は格差原理と公正な機会均等原理です。格差原理はある程度の格差は許容しますが、アメリカのような格差の大きい国では逆に福祉政策や再分配政策によって格差を小さくする政策を正当化します。ロールズを批判する点として、契約は当事者双方の自発性と互恵性の二つが実質的には必要ですが、ロールズの議論は互恵性を考慮していないため、本当に公正な契約か判断できないという可能性があります。

この記事を書いている人 - WRITER -
哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
詳しいプロフィールはこちら

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Copyright© ニーチェマニア! , 2021 All Rights Reserved.