自由型正義論としてのカントのリベラリズム|正義論
どうもこんばんは、高橋聡です。最近雨が降っていると涼しいを通り越して寒いくらいです。こんなに気温が低いと夏野菜などの出荷量が減ったりするので、少し不安です。とはいっても気にしすぎてもしかたないので、元気に過ごすしかありませんね。
さて、前回はリバタリアニズムをみてきました。自由至上主義、自由原理主義と訳されることもあるリバタリアニズムは、政治的自由だけではなく経済的自由も重視する考え方でしたね。次にリンクを貼っておきます。
まだ読んでいない方は是非よんでみてくださいね。今回のリベラリズムとリバタリアニズムとの違いも触れられているので、その部分だけでも読んでください。
三つの形態の正義論
さて今回の内容であるカントのリベラリズムに入る前に、サンデルのいう三つの形態の正義について復習しましょう。正義論には三つありました。
- 福利の拡大を求める福利型正義論
- 自由を重視する自由型正義論
- 美徳を大事にする美徳型正義論
今回は真ん中の自由型正義論の中のリベラリズムについて考えます。位置づけを意識しながら学びましょう。
それではカントのリベラリズム、みていきましょう。
3人のリベラリズム哲学者
政治哲学における自由主義のルーツには3人の人物がいます。この3人の人物をおさえるとリベラリズムの中核がわかる、とサンデルはいいます。その3人とは、ロック、カント、ロールズです。ロックはリバタリアニズムにつながる議論で特に重要です。カントからロールズのリベラリズムへとつながる系譜があります。サンデルはカントについて話すとき、その道徳哲学を扱ったカントの主著のひとつ『実践理性批判』にのみ注目しています。
近代哲学の代表者カント
カントは近代哲学の前提となる概念「理性」「自律」「自由」などを定式化しました。
古代では、例えば「神はこう考えているから」「支配者がこう決めたから」と自分以外の他者や外的権威の命令や決めたルールに従って、人間は生きるべきであると考えられていました。こうした自分の外のものの決定に従うことを他律といいます。
また自分の欲望や衝動に従って行動することも、理性的行動には該当しません。こうした自分の理性的判断が行われない自らの行動も「他律」だとカントは考えます。
しかし近代になって、人間は自らの意思で理性的に考えて、自分のルールに従って行動できるようになりました。これがカントのいう「自律」です。この自律の考えは、人間の尊厳を強調することになり。人権という考え方の基礎にもなりました。
傾向性
カントは道徳の原理の基準は、経験的理由(帰結や結果)に基づくべきでないと考えて功利主義に反対しました。カントによれば、本能的な欲望や衝動、好みといったものはすべて人間の持つ「傾向性」であるといいます。傾向性とはそちらの方向に傾くというような意味で、何もせずともその選択をとることをさします。そして傾向性に従って行動しているときは、全く自由はなく、傾向性に隷属しているだけであり、他律的だとカントは主張します。
人間が自由かつ自律的に行動するとは、自分自身が考え導いた格律にしたがって行動することだとカントは言います。人間が理性的で自律的な存在だからこそ、尊厳があります。そして他人にも尊厳があるため、人間は人を道具としてではなく、目的として考えないといけないとカントは述べるのです。
動機主義
だからこそカントは功利主義に反対したのです。功利主義は人間を手段(道具)として用いる側面があるからです。真に道徳的である行動は、その行動の帰結(結果)ではなく動機なのです。結果がどうあれ、道徳的な行動をとることはカントによると義務なのです。それゆえ義務論という性質をカントの道徳論はもちます。また道徳法則に従うことも道徳的である行動には必要な要素です。道徳法則はだれにでも分け隔てなく与えられている実践理性によって導かれ、この実践理性は万人に共通で違いがないというから、一つの理性なのです。そして一つの理性から導かれた道徳法則も、人類にとっては一つしか形態がないことになります。
定言命法と仮言命法
では道徳法則とはどのようなものでしょうか。カントは理性による意思決定には二種類の命法(命令の形式)があると主張しました。目的のための手段として行為を要請する仮言命法と目的自体として行為が要請される定言命法の二種類です。仮言命法は条件づけられた命令のことで、他律的だとカントはいいます。一方定言命法は他の動機を伴わずに絶対的に適用される法則だとして、これに従って行動することを自律的だとカントは考えたのです。
定言命法の定式
定言命法は、第一に「普遍的法則の定式」で、第二に「目的としての人間性の定式」があります。
前者は行動の準則がいつも普遍的な法律と同じものになるように行動することを求め、後者は人間を人格として扱うとは、行為の手段や道具としてではなく、人間を目的として扱うことを求める定式です。
これら二つの定式によって、普遍的な権利という考え方を基礎づけます。そしてカント哲学は今日のリベラリズムの思想的源流であることがわかります。
この記事のまとめ:カントの道徳哲学
カントは近代で特に重視される「自律」という概念を特に重んじました。カントによれば、自由な行動とは自律的に行動することです。傾向性にながされるのはあくまでも他律であり、傾向性ゆえに快楽を感じることを重視する功利主義には全面的に反対の立場をカントはとります。定言命法こそ真の道徳法則の形態であり、二つの定式である「普遍的法則の定式」と「目的としての人間性の定式」が権利という考え方を基礎づけます。だからこそカントの道徳哲学はリベラリズムの思想的源流だといえます。
以上、今回はカントの道徳哲学についてみてきました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。