人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

社会学について6〜シカゴ学派の社会学1

2018/02/15
 
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どうも、哲学エヴァンジェリスト高橋 聡です。今日はシカゴ学者の社会学について見ていきましょう。

シカゴ学派の社会学

アメリカ中西部の中心都市であるシカゴは、十九世紀後半から大量の移民や南部の労働者を受け入れて急速に人口が増大しました。産業化、都市化という従来の社会学のテーマに加え、人種や多言語、多文化というテーマが問題視されました。そのような中、シカゴ大学では、シカゴ学派という独自の社会学研究集団が誕生しました。

スモールとシカゴ学派

1890年石油王ロックフェラーの資金を得てシカゴ大学が創設されると、その2年後の1892年に社会学科が新設されて、アルビオン・スモールが学科長として招かれました。イギリスの学部とドイツの研究型大学院を模して作られたシカゴ大学では、スモールとトマス、ヴィンセント、ヘンダーソンの四人の専任教員でスタートしました。

スモールは社会とは、関心の調整、充足を行う過程であるという考えから、社会過程の理論を進めましたが、学科の運営や研究の育成を通じて、アメリカ社会学の発展に貢献しました。彼は1895年にアメリカで最初の社会学気管支を発行し、生涯を通じてその編集に携わりました。また、1905年ん創設されたアメリカ社会学会の会長には、シカゴ大学の教授陣が選ばれました。

シカゴ学派の発展

シカゴ大学社会学部は、1910年代に、パーク、バージェス、ワースらが加わって、貧困・スラム・浮浪者・犯罪・非行・偏見など幅広いテーマを扱う都市社会学というジャンルが生まれました。シンボリック相互作用論や集合行動論、エスニシティ研究もシカゴ学派の研究者たちを中心に展開されました。

トマスの社会学

ポーランド移民の研究

ウィリアム・アイザック・トマスは、シカゴ学派第1世代で、ワルシャワの移民保護協会で働いていたズナニエツキとともに『欧米におけるポーランド農民』(1918〜20年)を発表しました。トマスは生活史研究法に基づき、ポーランド移民がアメリカでの生活に適用していく過程で、彼らの「価値」と「態度」がどのように変容していったかを実証的に解明しました。

トマスにおいて価値とは、行動に意味を持たせるものであり、態度とは行動を決定する意識の過程です。つまり両者は行動を起こさせるものですが、その価値と態度は状況によって決定されます。

一方、社会集団には規則の体系である社会制度があり、社会制度をまとめた社会組織があります。その社会組織も、その組織の従う価値と態度が希薄になると消滅し、解体していきます。トマスは、このような社会的な変質過程を社会解体と呼びました。また、その社会組織の構成員が新しい価値や態度を獲得すると、社会組織は再構築されていきます。その過程を社会の再組織化と呼びました。

状況の定義づけ

個人と社会の相互作用と、社会の解体・再組織化という二つの理論的枠組みのキー概念は、トマスにあっては「状況の定義づけ」にありました。状況の定義づけとは、個人が現実をどのように認識し意味づけるかという吟味と思索の段階です。

コップの水が半分入っていることを考えよう。そのとき、このコップに「半分しか水が入っていない」という判断をする人と、「半分も水が入っている」という判断をする人がいます。当事者にとっての状況次第というわけですが、半分の水の意味づけは随分異なります。これが「状況の定義づけ」のことです。

4つの願望

トマスは著書『不適応少女』において、人間の基本的な願望として、「新しい体験を求める」「安全を求める」「他者の反応を求める」「承認を求める」という四つの願望をあげました。このうち、新しい体験を求める願望は価値創造的で未来構想的であり、社会解体を導きやすいのです。

都市社会学への発展

パークの社会学

ロバート・E・パークはハーバード大学で哲学を学び、新聞記者を経て、ヨーロッパ留学中にジンメルに師事しました。黒人の啓発を行う研究所で黒人教化事業を経験した後に、スモールの誘いでシカゴ大学へ赴任しました。

パークは人間生態学として都市を見るシカゴ学派的な都市社会学の流れをつくりました。生態学とは動植物の地域的な分布などを研究する生物学の一分野ですが、これを都市における人種や職業の分布の研究に応用しました。たとえばパークは、自然発生的な生態的秩序から人為的な道徳的秩序に共同生活が向かうと考え、個人の自我は生得的なものではなく、社会的人間の自我概念として後天的に獲得されると考えました。

またパークは、集合行動という概念で、ル・ボンやタルドの群衆や公衆の概念を説明しました。

バージェスの社会学

アーネスト・W・バージェスはカナダ生まれで、トレド大学講師、カンザス大学・オハイオ州立大学助教授を経て、1916年にシカゴ大学に移りました。バージェスはパークとともに、都市社会学を発展させてシカゴ大学の黄金時代を築くとともに、家族社会学でも優れた業績を残しました。

たとえばバーゼy巣は都市の生態学的な構造に着目し、都心地域→遷移地域→住宅地域などに放射線状に拡大するという同心円地帯理論を提示しました。

ワースのアーバニズム論

ルイス・ワースはドイツのライン州で生まれました。1911年にネブラスカ州オマハに移住し、シカゴ大学でパークやバージェスに学び、のちにシカゴ大学社会学をリードする人物となりました。

ワースは都市を、社会的異質性、人口規模、密度という3要素で特徴づけ、「社会的に異質な諸個人の、相対的に大きい、密度のある、永続的な集落」と定義しました。この人間生態学的、社会構造的、心理学的な分析視点から見て都市的な生活様式をアーバニズムとワースは呼びました。

さらにワースは、これらアーバニズムは、都市において生まれ、郊外から農村へと広がっていくと考えました。その結果、都市化は世界のあらゆるところで見られるようになるという、都市と農村は連続したものとして捉えられる概念を示しました。

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