意識の一形態としての社会学
どうも哲学エヴァンジェリスト高橋 聡です。今回もバーガーの『社会学への招待』第二章を見てまいりましょう。
社会学への問い
社会学とはある人々の興味をそそる知的な関心事であることを前回は学びました。今回は次の問いを頭の片隅にいれておいて先に進んでいきましょう。
問1 特定の諸個人がこの学問に専門的に従事するということがなぜ可能であるのか?
問2 この職業を成り立たせる前提条件はいったいどういうものであるか?
社会学の特徴
社会学は西洋近代に固有の思考方法として出現しました。社会とは色々な意味がありますが、社会学では人間関係の大規模な複合体を示す用語です。言い換えれば、社会とは相互行為の体系と言えます。それゆえ、社会が存在すればどこでも社会学は成立する余地があります。社会が存在するという条件ですが、人間関係の複合体をそれだけで分析でき、かつ同種類の複合体を比較して自律的な実在体として解することができるときです。同じように社会学では社会的という言葉の意味は、相互行為、相互関係、相互性という性質を指し示します。
社会学者のやること
ところで社会学者の仕事とはなんでしょう。社会学者は特別な種類の抽象化を行います。言い換えれば社会学に固有の抽象化を行うのが社会学者です。社会学的な問題提起とは、公式的に定義された目標から理解するだけではなく、その彼方にまで興味を示されないと行けない場合が多いです。例えばある法律があれば、法学者は法律の意味や法律の効用を問題にするかもしれませんが、社会学者はその法律になぜ人々は従いたくないのか、従わない人にはどういう特性があるのかを問題にするかもしれません。
このように、人間的事象には様々な意味のレベルがあります。その中は日常生活の意識から隠されているものがあるという事実に着目しなければいけません。
社会学思想
社会学的思想の発展の可能性は一般に受け入れられている文化の自己理解が激しく動揺している歴史的な状況に大きくなります。というのは権威に対して疑問を持ち始める人物が行うのがしばしば社会学だからです。アルバート・サロモンは言います。
キリスト教世界の規範構造が崩壊し始め、アンシャン・レジームも崩壊を開始したときにはじめて「社会」概念の出現が可能になった。
つまりキリスト教の宗教改革とフランス革命によって古い体制が打破された時によって、見えなかった社会という構造が一気に見えるようになって人々はこれに気づいたんです。
社会学は社会の現状を暴露するという効果を内蔵しています。
例を挙げると、表向きはアメリカのプロテスタント諸派の間には教会制度の違いがあります。ところが、実際は表向きの教会制度の違いにもかかわらず、教会はすべて社会学的にいう「官僚制」的なプロセスによって行動決定されているのです。ここから言えることは、社会学者は教会制度の背後に官僚制という装置が働いていることを認め、この装置はメソジスト教会においても、アメリカ政府やGMにおいてもさほど違いはないのです。
ときに社会学者が関心を引く問題は、他の人々によっては全く問題でないことも含みます。
社会学的問題は常にこの場で進行しつつある出来事を社会的相互行為という観点から理解することである。
とバーガーは言います。
たとえばイデオロギーとはある集団の既得権益を合理化するような物の見方ですが、社会学はこれを暴露することが多いのです。
まとめ
社会学とは西洋近代に固有の知の形式です。社会学は社会という相互作用の体系を分析し、かくれて見えない機能や構造を表に暴露することもあります。現実暴露という動機が社会学には内在していますが、研究者の意思というよりも、むしろ研究対象の社会システムを暴露するという社会学的方法論に由来するものです。前提に挙げた問1を考えてみましょう。結局はどの学問でもそうですが、社会学に固有の見解や意見を必要とする人がいる以上、社会学者は存在することになります。社会学に固有の抽象化を行えるのはもちろん社会学者だけですから、それが有益なものと認められれば必要なものとなっていくからです。
問2はどうでしょうか。社会学は西洋近代に固有の知の形式とはいいましたが、これはサロモンの指摘するように宗教改革とフランス革命の後に社会という問題が見えるようになったからです。この社会はもともと見えなかったものですが、現代では問題にしなければならないのが自明であるほど問題点を多く含んだものです。それゆえ、社会学者は社会の様々な場面で要請されます。