熱中できるものを見つけよ–ニーチェ『愉しい学問』<序曲>への注釈2
2018/06/07
どうも、哲学エバンジェリスト高橋 聡です。今日もニーチェの『愉しい学問』(別訳『悦ばしき知識』)の<序曲>への注釈を記したいと思います。なお、引用はすべて講談社学術文庫版『愉しい学問』森一郎訳からです。では早速見ていきましょう!
16番 上に向かって
「山を登るには、どう行けば一番いいですか?」
ひたすら登れ。だが登っていることを忘れよ。
忘れるくらい何かに打ち込め
何か物事に熱中することは、そのことをしているということを”忘れる”ことである。ニーチェはこう言うのだ。たしかに、その物事をしているのを忘れ、経つ時間も忘れるほど打ち込むことができることは、やっていて楽しいし、何よりやりがいを見いだせているのだろう。登山家はひたすら登っているが、登っているということを忘れているのだ。ひたすら何かをするというのが楽しさや継続に繋がり、そこから生産的な何かが生まれるのだ。それならば、熱中して何か忘れることができるくらいすきなことをやれ、というメッセージともとれる。
まとめ
つまりこういうことだ。打ち込めることがあれば、それをとことん徹底してやり続けるが良い。それがあなたの徳につながるのだ、と。18番 狭い料簡
狭い料簡には、どうにもやりきれない。
狭くて、善にも悪にも居場所がない。