孤独と恐怖について–ニーチェ『愉しい学問』<序曲>への注釈4
どうも、哲学エバンジェリスト高橋 聡です。梅雨まっさかりですね。今日もニーチェの『愉しい学問』(別訳『悦ばしき知識』)の<序曲>への注釈を記したいと思います。なお、引用はすべて講談社学術文庫版『愉しい学問』森一郎訳からです。では早速見ていきましょう!
33番 一人きり
人に従うのも、人びとを導くのも、私にはいとわしい。
服従だって?ごめんこうむる。かといって、まっぴらさ−−支配するのも。
自分を恐れない者は、誰にも恐怖を与えない。
そして、恐怖を与える者だけが、他の人びとを導くことができる。
自分自身を導くことだけでもう、私にはいとわしい始末。
私が好きなのは、森や海の獣たちのように、
優雅なひととき、しばし自分を忘れること、
霊妙な狂気を思い煩ってしゃがみこむこと、
帰ってこい、と遠方からどうにか自分を呼び寄せること、
自分を自分自身へと−−導くのではなく、誘惑すること。
恐怖について
ニーチェは言う。”自分を恐れない者は、誰にも恐怖を与えない”と。ぼくたちはこの言葉をよく考える必要がある。他人に恐怖を与える者は、自分自身を恐れているのだ。だけど、恐怖を与える人でなければ、他の人びとを支配したり導くことはできないのだ。さらに言うならば、自分自身を導くことは、自分自身に恐れを持っているから行うことなのである。
自分自身を誘惑する
でも大事なのは人を導いたり、服従させたりすることじゃない。大事なのは、自分自身や他人への恐れを持たず、自分を自分自身へと誘惑することなんだ。誘惑とはやさしく、時に甘く誘導しようとすること。自分を自分自身へと誘惑するとは、自分を取り戻すことに他ならない。つまりここで言いたいことは、恐れから他人を変えようと行動するのではなく、自分自身をそっと変えてやろうということだろう。