人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

ことばによる把握と脱言語的把握

 
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どうもこんばんは、たかはしさとしです。本日は仕事が終わってBOOKOFFにいってきました。何かと手に入れたいと思っていた本が入手できたりするので、とても楽しいですね。あなたは最近、本を読んでいますか?

前回の記事

あえて言葉の意味を考えない、というタイトルで前回は少し言語内世界と脱言語的世界について考えてみました。下にリンクを張っておきますので、そっから飛べますよ。

まだ読んでいない方はぜひ読んでみてくださいね。

ことばによる把握

人間が通常使う言語的コミュニケーションのすべてがことばによる把握、もしくは認知というものに基づいております。世界を言語化して理解すること全般をことばによる把握と呼んでいます。実際、言語化しないと人に同じことを伝えようと思っても伝えることなどできません。では逆になぜ言語化すると伝わるのでしょうか。

言語はずばり世界を分節化する機能があり、世界を切り取って表現しようとするのです。世界を切り取るということは、それだけ世界を細分化しているので、言語的表現にフォーカスがあたって、世界のどの部分をさしているかを伝えるべき他の人がイメージできるようになるために、伝わるのです。

仏教ではこのような言葉による知識、知恵を分別知、あるいは分別智と呼びます。世界の一部をみて世界を把握しようとするのが分別智です。

仏教ではこの分別智は低次の次元の智慧です。世界の一部をみて世界全体を思い描いても、世界の実態をとらえたことにはならないからです。日本に住んでいるわれわれ日本人が日本の気候だけを見て、他の世界もすべて同じような気候だと思い込んだとしたら、それは正しい世界把握ではありませんよね。日本のように四季折々の風景があるところもあれば、熱帯地方のようにジャングルが生い茂って年がら年中熱い場所もありますし、逆に極地方、北極や南極のように永年雪が降る冬の気候の場所もありますよね。

だから仏教ではことばだけでは全体的真理に到達できない、と考えるのです。

脱言語的把握

仏教で全体的真理に到達するとき、欠かせない知識が無分別智です。ことばだけによらない、ことばだけを重視せずにほかの要素も含んだ智慧をさします。

つまり言語的把握だけではなく、六感で感じるのが無分別智です。無分別智は修行や瞑想によって手に入れることができると言います。左脳と右脳をバランスよく使って世界を把握するのです。

言語(悟性)だけではなく、感覚や感情(感性)もしっかりと働かせることができるうえではじめて真理(理性)に到達できるのです。

われわれがとるべき道は、言語を大事なものだと扱いつつも、言語を絶対視しないことでしょう。

以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

たかはしさとししるす


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