戦いと真の友–ニーチェ『愉しい学問』<序曲>への注釈6

どうも、哲学エバンジェリスト高橋 聡です。今日もニーチェの『愉しい学問』(別訳『悦ばしき知識』)の<序曲>への注釈を記したいと思います。なお、引用はすべて講談社学術文庫版『愉しい学問』森一郎訳からです。では早速見ていきましょう!
41番 ヘラクレイトス主義
地上の一切の幸福を、
友よ、与えてくれるのは、戦いだ。
そう、友となるにも、
砲煙が必要だ。
友の証しとなる三位一体とは、
苦難を前にしての兄弟愛、
敵を前にしての平等、
そして自由−−死を前にしての。
戦いが幸福のカギ

地上の一切の幸福を与えてくれるものは、”戦い”であるという。戦いとは”殺し合い”のことだけを指すのでは無論ない。ぶつかり合い、その結果手に入れたものが幸福なんだ。
”友の証し”の三つの印として、苦難を前にしての兄弟愛、敵を前にしての平等、死を前にしての自由があるとニーチェはいう。
友の証し
つまり本当の友とは、苦難の時に兄弟のように助け合える関係であり、また敵が前にいる時にすべて平等に扱える仲間であり、死を前にして自由に振る舞うことができる人のことだ。戦いが苦難をもたらし、敵を作り、死を与える。今の日本の平和状態では、本当の友は得難いのかもしれない。まとめ
真の友は本当に得難いものだが、得ることができればあなたのすごい力となる。真の友は戦いの前で繋がれる仲間である。43番 激励の言葉
名声を得たいと願っているのか。
ならば、次の教えに留意せよ−−
潮時になったら名誉を進んで断念せよ、
名誉にかけて。
名声と名誉の違い
名声と名誉の違いを考えたことはあるだろうか。ぼくは何度かあるが、ニーチェのこの節にであうまでまとめていなかった。さて、辞書によれば名声とは次の意味だ。ほまれ。良い評判。
『広辞苑』【名声】より
では名誉とは、どういう自体を指すのだろう。
①ほまれあること。よい評判を得ること。ほまれ。
②名高いこと。有名。
③道徳的尊厳、すなわち人格の高さに対する自覚。また、道徳的尊厳が、他人に承認・尊敬・賞賛せられること。
『広辞苑』【名誉】より
ニーチェが3行目の文脈で使っているのは、①の意味ではなく、②か③だろう。
つまり、名声とは社会的に良い評判を受けることであるのに対して、名誉とは個人的な人格の高さに対する自覚をさす。
”社会的に良い評判を受けたいならば、良い時期になったら個人的な人格の高さを断念しなさい、良い評判にかけて”
といった意味だ。
まとめ
社会的な名声を得るには、個人的な名誉を断念しなさいという教えだが、これには次のことが含意しているかもしれない。つまり、個人的な名誉を捨て去って、プライドを捨て去って活動を続けろ、そうすれば名誉が付いてくるよ。という意味にも取れないか。多面的な解釈を許すのがニーチェの面白いところだ。