人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

近代哲学の巨人 カント5 まとめ

2021/05/13
 
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どうも、たかはしさとしです。最近割とはやめに寝るようにしています。そのおかげか体調はすこぶるいいですね。一週間後に健康診断に行かないといけないので、少し不安な部分もあります。まあ悪い結果が返ってきたら、それをうけて悪い部分が悪くなりすぎないように予防・治療をするのみです。あなたは健康診断、しっかりと受けていますか?

さて前回はカント4ということで、カント哲学についてみてきました。主にカントの中心概念を用語解説という形で見てきました。いわばこれは分析です。カントの分析をしたあと、カントは何を言いたかったのかという総合を行うのが今回の記事です。

その前に、前回のカント4の記事は以下のリンクから飛べます。



まだ読んでいない方は是非読んでみてくださいね。では本題に入りましょう。


カントをどう説明するか

カントをどのように説明するか、理性能力の限界と自由に基づく道徳哲学、および永遠平和について一緒くたにして語るのは難しいので、3つのパートに分けて解説したいと思います。

1.理性の能力の限界を見極める

2.道徳法則に自律的かつ自由に生きる

3.その他のカントの業績

上記のパートにわけて見ていきたいと思います。


1.理性の能力の限界を見極める

主に『純粋理性批判』とその解説書である『プロレゴーメナ』によって展開されたカントの業績についてこのパートでは考えていきましょう。

ヨーロッパの近代思想史上、カントが特に気に掛けるのは次の点です。

・デカルト以降の大陸合理論の哲学では、経験と経験から得られた知見を軽視していて、それゆえに合理論に特有の独断論に陥っている

・ベーコン以降のイギリス経験論の哲学では、経験に先立つ能力の存在を否定しているため、ヒュームがいきついた懐疑論を標ぼうするしかない

この二つの伝統的な哲学とその哲学に基づいた科学の基礎というのは、実に危うい基盤に立っている、とカントは指摘しています。

そしてカント自身がこの二つの哲学の問題点を超克して、新たな学の基礎づけたる哲学を展開しようとしました。その一歩目の哲学が批判哲学と呼ばれる哲学です。批判哲学とは、理性の能力を吟味・検討して、その能力の限界を見定め、人間が考えることができる問題と答えの出せない問題に線引きをすることが目的とされた哲学です。


name="Nubr8">カントはこれをどう解決するのか、簡単な道筋を追ってみましょう。カントはまずアプリオリな総合判断はどのようにして可能かを問います。アプリオリな総合判断とは、経験に先立って総合的に判断することをさします。この判断が可能であることを示せば、大陸合理論の哲学とイギリス経験論の哲学の問題点を乗り越えることができるとカントは考えたのです。

ここでカントは認識が対象に基づくのではなく、対象が認識に基づくコペルニクス的転回の話を持ち出します。対象とは客観的な事象、認識とは主観的な能力ですよね。コペルニクス的転回の要点をいうと、主観は客観によってきめられるのではなく、主観が客観を決めているのだ、というんです。

客観的な対象から影響を受けることが経験です。経験に先立ってということは、客観的対象から影響を受けるのに先立って、総合判断することが可能か、ということなんですね。カントは可能だといいます。数学や物理学は可能であり、また形而上学としての哲学も可能なんだ、というわけです。

時間と空間は普通客観的な対象と捉えられていますよね。カントによればそれは間違いである、といいます。時間と空間は主観的な形式だというわけです。

物自体には時間と空間はない。人間が時間と空間という形式で物事を認識しているだけだというんです。そして物自体を時間と空間の形式で捉えると、現象があらわれるんです。人間が感知できるものは現象のみです。

物自体の世界を英知界と呼びます。一方、現象の世界を現象界と呼びます。人間は基本的に物自体を把握することはできないので、現象界のみについて知ることができるのです。つまり理性能力も現象界しか知りえないのです。


name="yYVv2">こうして、理性の能力の限界時間と空間が適用される現象界の限界にそのまま当てはまるのです。だから、霊魂という時空を超越した概念は現象界には存在しないので、理性で本来語ることができるものではない、というんです。

2.道徳法則に自律的かつ自由に生きる

このパートのテーマは『実践理性批判』とその入門書的位置づけの『道徳形而上学原論』で展開されています。

人間が道徳法則にしたがい、自発的に道徳的に正しいことを選択する能力実践理性とカントは呼びます。カントによれば、道徳法則にしたがい、自分が率先して正しいことを選択するのは、そのまま自律であり、同時に自由であるといいます。また実践理性は善を選び取る意志であることから、善意志とも呼ばれることがあります。カントは道徳的に自律していないと、完全な自由は享受できないんだ、と説くわけです。わがままな自由はカントは認めないわけです。

ところでなぜ人間は自由なのでしょう。カントによれば、その理由は人間が英知界と現象界の両方に属する存在だから、というのです。どういうことでしょうか。

因果法則に支配されて必然的な結果しか生まれない現象界では、物事の第一原因たる自由は存在しません。ところが人間は物自体の世界である英知界にも属しています。英知界の理性的存在者として人間は自由をもつのです。自由をもつ人間は、現象界を支配している因果の法則の一番初めに位置することができるのです。ただ当然ながらカントの自由は道徳法則にしたがった自律的選択をさしますので、感情的にながされてしまったときには自由は発現しないことになります。


3.その他のカントの業績

カントは『判断力批判』以降もいろんな著作をあらわしていきます。


name="GuhjN">特に重要なのが『永遠平和のために』の世界政府論です。世界政府が実現して、世界がすべて平和になることを想定して書かれた著作です。永遠平和とは道徳法則に世界すべてが適用している状態のことですね。

美学もカントが作り出したといってもよいでしょう。

カントはこのように多方面の分野で活躍しました。ぜひカントの著作などにもふれてみてくださいね。

以上、長いカントの連載もここで終了となります。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

たかはしさとししるす



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