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高みから降りる高等な人間–ニーチェ『愉しい学問』<序曲>への注釈10

2018/06/18
 
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哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。

おはようございます。哲学エバンジェリスト高橋 聡です!人は身体に限らず、精神的にも成長します。その精神的な成長がとても高いところに行く人もいるでしょう。ところが一般の人々は高いところに登ってしまった彼を仰ぎ見ることはおろか、高すぎて見えなくなってしまうこともあるでしょう。ニーチェはこれだけでは高等な人だとは言えない、と言います。本当に高等な人は、一旦高いところに登ってその景色や見晴らしの素晴らしさを感じてから、再度下界に降りてくる人なのです。今までの序曲での注釈では何度も加工運動が大事だと指摘しましたが、ここでも似たようなことが言われています。では早速みて行きましょう。

60番 高等な人間

この人は上へ登ってゆく−−彼は称えられるべきだ。

ところが、あの人の場合、いつも上から降りてくる。

彼は称賛を放下して生きる。

彼こそ、正真正銘の上人なのだ。

ニーチェ『愉しい学問』講談社学術文庫版・森一郎訳

上昇してから降りてくる人が本当に高等

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上昇する人だけが偉いわけではない。常に上から降りてくる人、与えられるべき称賛を放り出して生きる人、その人こそ上人なんだ。

上昇する人はいつもみんなの注目の的だ。彼は上昇し続け、みんなが言えない場所へと行ってしまう。だがそれだけでは人と接する機会がない。なぜなら彼は大衆から見えず、話しかけることすらできないのだから。称賛に値する彼は遠くへ行ってしまった。だがその称賛を放り出して、上から降りている彼がいる。称賛など何の役に立とうか。降りて市井の人々と共に行きてゆく、そんな彼をニーチェは上人と呼ぶ。

日本の仏教界の祖師たち

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平安時代、天台宗の伝教大師・最澄や真言宗の弘法大師・空海はともに下から上昇し続け、高いところに上り詰めた。最長は比叡山へ、空海は高野山へと登り、世間の評判もうなぎ登りだった。

平安末期から鎌倉時代初期の祖師たちはどうであったか。法然上人をはじめ、比叡山の高みに登りこそすれ、そこから下山して自分の教えを弘め回った。彼らの教えはそれぞれ違うが、すべて民と共にあり、というところでは一致している。

結局どちらが高等か?ぼくは後者のように感じる。

踏み込んで考える

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名声を得てお金を得て名誉を得て、高いところに昇り詰めようと思い活動することも素晴らしいことだ。でもそうやって獲得した知識や見識、気づきを高いところにいるだけで還元しないのなら、それは高等とは言えないのだ。本当に高等なのは、とても高いところに登ったことがあって、その経験から得たさまざまな収穫物を低みに降りてシェアしようとする人のことである。わかってくれない人が多くいても、わかる人にだけちゃんと説明する。わかる人はそれを受け取り、自分なりに噛み砕いて行動する。本当の教育とはそのようなものだ。

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