人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

コペルニクス的転回にみるイマヌエル・カントのすごさ

2021/05/13
 
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どうもこんばんは、たかはしさとしです。最近寒かったですね。今日はましにはなったとはいえ、外にでるとやはり寒いですね。ところがぼくがつとめているオフィスは暖かくて、暑いくらいなのです。寒さに凍えるよりかはいいのですけどね。
昨日はやめに寝ることができた関係で、今日は朝早く起きて6:40のバスに乗ることができたので、朝にオフィス前の神社で感謝を捧げにお参りしてきました。すがすがしい朝を過ごすことができましたね。感謝は一番の原動力です。

コペルニクス的転回

突然ですが、あなたは”コペルニクス的転回”という言葉をご存じですか。知っている方はその理解を少しでも深めていただき、知らない方は少しでも意味を知っていただきたいと思っております。

コペルニクスの業績

コペルニクスはご存じだと思います。天動説が支持され、常識となっていた時代に、名前は隠しながらとはいえ、地動説が正しいんだと著作を遺したポーランド出身の自然科学者ですね。地球を中心と考えるより、太陽を中心に考えたほうが計算結果に誤差がほとんどでないことに気づいたのですね。とはいえコペルニクスはカトリックの司祭でもありましたから、生前にカトリックの公式な教えに背く地動説を公にすることはしなかったんですね。

それはともかく、コペルニクスの重大な発見によって、天、つまり宇宙が動いていると思われていたものが、地球が動いているという事実に基づいた認識の転換が起こったわけです。

カントのコペルニクス的転回

カントが言うコペルニクス的転回とは、コペルニクスが起こしたような認識の転回を指します。コペルニクス的転回とは、カントの言葉を借りると「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従う」ということです。つまりカント以前は対象、認識される物を中心に認識することが説明されていた。リンゴが赤いから、赤く見えるという考え方ですね。ところが認識される物は実は認識に従う、というわけですから、人間の認識の機能を中心に認識される物を説明しようとカントはしたわけです。われわれが赤く感じてリンゴという果物だと考えているから、赤い果物はリンゴである、と結論づけることができるのだ、とカントはいうのです。

認識は人間に属する主観的な機能そのものです。対して対象は客観的なものです。だから主観的な私が客観的な世界にしたがうのではなく、客観的な世界が主観的な私によって規定されている、と言い換えても不自然ではありません。

もっというと、認識とはあくまでも自分の側でしか理解できないため主体的なものです。認識の対象は逆に世界の側にあり、客体的なものですね。

このカントのコペルニクス的転回のことば「対象が認識に従う」とは、「客体は主体に規定される」と言い換えることもできます。もっというと、内なる主体から外なる客体は作り出されるということです。

これはまさしく、『7つの習慣』でいうインサイドアウトアプローチに他なりません。コペルニクス的転回とは、アウトサイドインアプローチを採用していた人間が、インサイドアウトに目覚め、自分の内側に原因や責任を求めるパラダイムの転換なのです。

アウトサイドインというのは結局自分の外側の環境や他人に原因を求めるので他責の原理ともいえるでしょう。対してインサイドアウトは自分の内側に原因を求めてそこを変化させるので、自責の原理なのです。

そういう見取り図ができれば、カントがいった自由はとても理解しやすいです。カントは自律こそ自由だ、と言っているんです。これって自分を律することがもっとも自由に感じる瞬間だと言い換えてもいいのです。カントはなにがあっても他律より自律を重んじるのです。他律はどんなことがあっても良しとしません。他律は他の人が言ったから自分はそう行動した、というようなことを指しますので、結局これは他責につながるんですね。

まだまだもっと自己啓発とカントについては語るべきところはありますが、今日はこれくらいにしときましょう。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

たかはしさとししるす

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