人間は精神であるというキルケゴール
人間は精神である。しかし、精神とは何か。精神とは自己である。しかし、自己とは何か。自己とは、ひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである。
(アンチ・クリマクス著/セーレン・キルケゴール公刊『死に至る病』)
どうもこんばんは、たかはしさとしです。今日はキルケゴールの『死に至る病』の最初のほうに出てくる文章を抜粋しました。イメージとしては以下の図の通りです。
有限と無限とを直線で引っ張って、その自分がどの位置にいるのか、考えたら、そこを交点として現実と可能とを直線で引っ張ったらどのあたりに自分がいるのかを考えてみてください。
それを考えて自分で見取り図が書ければ、それがあなたの人間としての位置=人生=精神=自己であります。その例を私の例で解説してみましょうか。
今はキルケゴールのあげた代表的な二つの関係の例で考えてみました。たかはしさとしは、世界、あるいは人生は可能性に満ち溢れていると感じていますが、かといって現実も考慮すべきだと考えています。同時に、有限な時間を無限な思考よりも重視するのです。
こうした様々な関係性の交わる交点こそが、あなたなのです。ただキルケゴールが言っているのはこれだけです。難しく考えなさるな。
キルケゴールは処女作『あれかこれか』でこう言っています。
結婚したまえ、後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、後悔するだろう。結婚してもしないでいても、君は後悔するだろう。
つまりキルケゴールによると、人間はどんな行為をしても神の前に単独で立って人生を全力で生き抜かない限り、後悔と不安と挫折と絶望の日々しかない、というわけです。
真っ暗なことを言っていて、読んでいたらすごく楽しくなる本がキルケゴールの著作です。一度ご賞味あれ。
なお初めて『不安の概念』や『死に至る病』を読むのは難しいので、『現代の批判』あたりから読み始めるのがよかろうかと思います。
あなかしこ、あなかしこ。
たかはしさとししるす