批判哲学|哲学の用語解説
2021/02/14
どうもこんばんは、高橋聡です。今日は休日で1日フリーでいたのですが、とても休むことができました。休みってやっぱり良いですね。普段一生懸命頑張っているから休みの日のありがたさがいっそうわかるという良さもありますね。
前回の記事|独断のまどろみ
前回の記事では、哲学の用語解説第1弾ということで、カント哲学の独断のまどろみをご紹介しました。以下のリンクから飛べます。- 独断のまどろみ|哲学の用語解説</li>
批判哲学の概要
批判哲学とは、カントの哲学上の立場を指す言葉です。批判とは「よい物をより分ける」といった意味で、カントの場合は特に、理性の能力の範囲と限界を見分けることを言います。批判という意味のドイツ語Kritikはギリシャ語クリノーに由来し、クリノーは物事の境界を「分けること」を意味する単語です。カントは従来の形而上学は認識の限界を超えた事柄を探究したために独断に陥ったと考え、認識する理論理性の能力の吟味と検討が必要だと結論づけたのです。カントによれば、人間が知ることができるのは、目や耳などの感覚器官(感性)に与えられた現象のみであり、その現象の根源である物自体は知り得ないと言います。われわれの感覚器官が捉えた現象に、悟性の認識の枠組みであるカテゴリーを当てはめて、はじめて人間は対象を構成するのです。
以前の哲学と批判哲学
理性を重視する合理論では、空虚な推理推論ばかり行って独断論になります。対して感性に頼る経験論では、感覚を過信して真理を否定する懐疑論に陥るのです。こうした偏ったそれぞれの考え方を調和するためにカントが導入した中立項というのが悟性です。経験(感性)と思考(悟性)とが組み合わさってはじめて認識は対象するとカントは考えました。そうして認識論のうちに大陸合理論とイギリス経験論の総合を行ったのです。経験と思考のどちらかの要素がないと認識が成り立たないということですから、従来の形而上学が問題とした神や自由は経験が抜け落ちており、認識の対象じゃないから、理論理性で解決できないのだとカントは主張します。そうしてカントは認識論において合理論と経験論を総合しながら、形而上学において理念の問題は解決することができない問題だととして、従来の形而上学で問題とされたものがすべて哲学が扱うべき問題じゃないと言ったわけです。
批判哲学はいわばそれまでの哲学をすべて破壊したなかなか過激な哲学だったのです。
以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
高橋聡記す