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独断のまどろみ|哲学の用語解説

 
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どうもこんばんは、高橋聡です。大阪はだいぶ寒さも落ち着いてきました。過ごしやすい天気がきて、幸せを享受しているそんな2月です。あなたはどうお過ごしですか。

前回の記事|文化的再生産論

ではさっそく前回の記事について見ていきましょう。前回の記事は、文化的再生産論という学校が格差を再生産する仕組みについて見ていきました。リンクは以下にあります。
まだ読んでおられない方、興味ある方はぜひ読んでみてください。それではさっそくカント哲学の用語、独断のまどろみについて今日は考えてまいりましょう。

独断のまどろみ

独断のまどろみとは、カントの著作『プロレゴーメナ』に出てくることばで、カントがヒュームの哲学に触れて、自らの哲学的な独断に気づき、この独断から離れるきっかけを得た体験を指すときに使われることばのことです。

ヒュームの主張内容

ヒュームは原因と結果を結びつける因果法則を否定し、人間が知ることができるのは知覚されたものだけであると考えました。そして知覚されたものに対応する物体が外界に実在するという考えを斥けて、物体の実在性を否定しました。さらには因果律については人間の主観的習慣にすぎないのだ、とヒュームは主張しました。そうした考え方を学んだカントは、外界に因果律が支配する物体が実在するという独断論的な前提を初めて疑うことができるようになりました。そしてそうした独断から離れ、カントは批判哲学を考えつくことになったのです。

まどろみから覚めたカントの思想概括

後のカントの言葉を使いながらも、まどろみから覚めたカントがどのような思想を『純粋理性批判』で展開することになるかを少しだけ見ておきましょう。ヒュームは感覚で捉えられる世界のみを実在の世界だと考え、物自体の世界を斥けました。対して、大陸合理論の流れを汲むライプニッツ学派の考え方では、物自体の世界を対象としてわれわれ人間はそのまま認識できると考えていました。カントはヒュームの考えに触れ、独断のまどろみから覚めて、物自体を直接認識することはできないと思い至ったのです。ただしカントは、ヒュームの唱えたような感覚界がすべてだという考え方は採りませんでした。物自体は認識できないが、感性と悟性を通じて現象界をわれわれ人間は認識している、という考え方を発見し、そこに自らの哲学の基礎を置きました。
以上本日はカントが「独断のまどろみ」と呼んだものは何かについて考察してきました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
高橋聡記す

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