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ここだけおさえればわかるピンポイント心理学史解説|第二次世界大戦より前の心理学史

2021/12/10
 
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どうもこんばんは、高橋聡です。お久しぶりの記事執筆となってしまいました。最近心理学書を読むのにはまっております。そこまでむずかしい本ではありませんが、心理学の学部生クラスの入門書などを読みながら心理学の全分野についてまんべんなく学んでおります。ここで知識の整理とぼくなりの視点での感想や分析なども踏まえながら心理学史を語っていきたいと思います。

とはいっても全部の心理学を網羅的にいきなり取り扱うのは不可能ですので、今回は概論として第二次世界大戦までに展開された心理学の歴史、すなわち心理学史を見ていきたいと思います。すべてを網羅的に細かく扱うのもありなんですが、そうすると木を見て森を見ず、という状態になってしまいがちです。そこでほとんど心理学について知らない人や初学者の人でも、ざっと心理学の歴史についてわかる記事を心がけたいと思います。

第二次世界大戦より前の心理学史は、次の4つの分野を見ていくことで理解することができます。4つの時代をそれぞれ4記事にわけてみていくことになります。

  1. 前心理学の時代1
  2. 前心理学の時代2
  3. ヴントと近代心理学
  4. 3つの新たな心理学領域|ゲシュタルト心理学、行動主義、精神分析

今回の記事では総論に当たる部分で、特に大事な部分をみていきます。それではさっそく1について触れてまいりましょう。

前心理学の時代1|アリストテレス、ロック、ヴォルフ、カント

まず最初はヴントが1879年に心理学実験室を開くまでに展開されたプレ心理学史というべき時代です。古代ギリシャの哲学者アリストテレスがプシュケー(魂、精神、心、気息などと訳されるギリシャ語の単語)論を展開した『魂についてという論文から西洋の心理学に心理学の発端をみつけることができます。アリストテレスは心の諸機能を分類し、探求することを行った西洋で最初の人物です。

アリストテレスは心の問題を考えはじめたのですが、キリスト教がヨーロッパに広まると、魂について単独で考えるという発想自体がされなくなっていきます。キリスト教の神との関係で魂が論じられることはあっても、単独では考えられなくなったのです。

その後、ルネ・デカルトが旧習を打破し自我=精神を起点とする哲学や学問を打ち立てます。そのデカルトの影響を受けたイギリスの哲学者ジョン・ロックにはじまるイギリスの連合心理学と呼ばれる心理学がイギリスでは力を持ちました。ヨーロッパ大陸ではドイツの哲学者ヴォルフが『経験的心理学』を著作として表しました。ここでいう心理学は「魂の学問」といったものに近い内容です。ヴォルフの考えはアリストテレスとキリスト教、双方からの影響を引き継ぎつつも、思惟や表象など精神作用に着目した点に画期的でした。

そうして心理学の前形態の学問は発展しつづけましたが、それに冷や水をあびせかける哲学者があらわれます。それがドイツの批判哲学者イマヌエル・カントです。彼は『自然科学の形而上学的原理』という著作の冒頭で「心理学は科学になれない」と主張しました。カントは簡単にいうと、心の問題は実験できないし数式にも表せないから、科学ではないと言い切ったのです(アリストテレス→連合心理学→ヴォルフの心理学→カント冷や水事件の流れを「前心理学の時代1」と当ブログではいいます)。そうしたカントの冷や水事件は心理学に二つの潮流を生み出しました。一つは「心理学は科学ではないからそのままでよい」という主張、もう一つは「心理学は科学であり、実験や数式もできる」という考え方です

前心理学の時代2|進化論、精神物理学、大脳生理学

プレ心理学史の後半についてもまた1つの記事を割いて詳しく述べます。ヴントが1879年に心理学実験室をライプツィヒ大学につくる直前のこの時代に現れた三つの大きい学問の勃興があります。

ひとつがダーウィンの「進化論」、ふたつめはウェーバーフェヒナー「精神物理学」、みっつめは「大脳生理学」です。これらの3つの要素はのちの世界に多大な影響を与えました。進化論はいわずとしれた生物が進化し、自然選択によって生き残るという考え方のことです。精神物理学は心理学の実験の基盤となりました。大脳についての知識の増加もまた、人間の仕組みを解明する手助けとなりました。これら三つがなければ、おそらくヴントの心理学はなかったと言われるくらい、この三つの要素は大切なものです。三つの要素があってはじめて心理学は成り立ったのですね。

ヴントと近代心理学の成立

1879年ヴントがライプツィヒ大学に心理学実験室を開設します。この年をもって近代心理学は成立し、また現代の心理学につながる発展を遂げることになります。言い換えると、1879年以降、現在の心理学者と呼ばれる人たちがどんどん増えて、心理学に関する新たな知見を発見し、展開していったのです。

1881年にはヴントによって『哲学研究』という、哲学の名を冠してはいるものの、心理学の発表の場となる学術雑誌が創刊されます。

ヴントの心理学は生理学で用いられていた実験を重視しました。ヴントの心理学で扱われた内容は意識で、刺激を与えたり変化させて意識がどう生じたり変化するのかを観察するものがほとんどでした。またクロノスコープを用いた反応時間の研究もヴントの時代に行われていました。
ヴントのもとにはいろんな国から留学生が集まりました。アメリカからはキャッテルスクリプチャーウィトマー、日本からは井上哲治郎桑田芳蔵などです。こうして心理学はドイツ以外の国にも広がりました。

ヴントと同時代の心理学者も少し触れておきましょう。記憶研究で有名なエビングハウス、エビングハウスの弟子で最初の応用心理学者として知られるシュテルン、実験ではなく経験をもちいた研究ができると考えたブレンターノ、現象学概念を確立したシュトゥンプ、ゲッチンゲン大学に心理学実験室を創設したミュラー、ミュラーの弟子で「ルビンの壺」で有名なルビンなどがいます。

アメリカでも心理学が発展しつつありました。アメリカの心理学者には、プラグマティズム哲学者としても知られるウィリアム・ジェームズ、ジェームスの弟子であるホール、ホールの弟子であるデューイ、デューイとジェームズの弟子であるエンジェルなどがいます。彼らもまた心理学の発展に務めました。

3つの新たな心理学領域|ゲシュタルト心理学、行動主義、精神分

ヴントの心理学は意識主義要素主義かつ実験重視でした。20世紀に入るころ、このヴントの心理学の限界を指摘する新しい心理学の潮流が生まれました。心の内容を要素に分解する要素主義に対して、ゲシュタルト心理学の論者は全体やまとまりを重視する心理学を唱えました。意識を実験や考察の対象とする意識主義に対して、精神分析無意識を重視するべきだと主張しました。実験で得るデータは個人の内観に基づくものに限定する実験主義に対して、実験のデータの取り方を行動に限定する行動主義が現れました。
ゲシュタルト心理学の論者にはエーレンフェルスウェルトハイマコフカケーラーレヴィンなどがいます。行動主義はアメリカの心理学者エンジェルの弟子であるワトソンが唱道しました。代表的論者にハルトールマンスキナーなどがおり、スキナーは心理療法に一派である行動療法を開発しました。精神分析はオーストリアのフロイトが創始し、アンナ・フロイトエリクソンフロムといった後継者が生まれました。フロイトはアドラーやユングにも影響を与えています。

第二次世界大戦までの心理学についてのまとめ

心の機能の考察を西洋ではじめにおこなった古代ギリシャのアリストテレスに心理学的考察の起源を求めることができます。イギリスのロックにはじまる連合心理学、ドイツのヴォルフの精神哲学的な心理学と順調に心理学は発展していきました。そこに冷や水を浴びせかけたのがドイツの批判哲学者イマヌエル・カントです。カントは心理学は実験によるデータをとれないから科学ではない、と著書の中で断言したのです。

1879年のヴントが心理学実験室を開設してから心理学は始まるといわれます。とはいえ、そこから20年程度前に三つの学問が勃興したことが心理学成立の助けとなりました。ダーウィンの進化論、フェヒナーの精神物理学、大脳生理学です。

ヴントとヴントと同時代を生きた哲学者は心理学の発展に務めました。とはいえ、20世紀に入るころにヴントの心理学の限界を問題視して新たな心理学の潮流が生まれます。それがゲシュタルト心理学、行動主義、精神分析です。

以上がこの記事のまとめです。後日詳細記事をアップします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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