最難解の哲学書 ミシェル・フーコー『知の考古学』のメッセージ 緒言
どうも「草の根平和推進者」 平高橋聡です。いつも、ありがとうございます。
20世紀後半で最も重要な思想家といえばあなたは誰を思いつきますか?
様々な答えがあるかもしれません。
哲学や思想について考えたことがない人は、思いつかないかもしれませんね。
しかし、哲学や思想史の世界で最も重要なのは、間違いなくミシェル・フーコーという哲学者が大事です。
僕が彼の代表作『知の考古学』から、あなたに必要なメッセージを取り出して、それを解説させていただきます。
その前に、彼の紹介を少しさせてもらいます。
フーコーは1926年に生まれ、エイズで1984年に亡くなりました。
彼は最初、精神科医を目指しましたが、その治療方法などに疑問を持ち、哲学者へと転向します。
彼の著作名など挙げても仕方ないので、彼がどういう姿勢で哲学書を記したのかだけ、伝えましょう。
この世の中には、医学なるものが作りだした「医療制度」 、政治経済なるものが作り出した「政治体制」、生物学なるものが作り出した「生理学」。そういうものがたくさんあります。
これは一見、当たり前に世間一般では科学として知られています。
でも、よくよく歴史を紐解いてみれば、その中身はその都度変化します。
こういう医学なるもの、政治経済なるもの、などいった「〇〇なるもの 」のことを、フーコーは言説(げんせつ)と呼びました。言説とは、時代により常に変化を受けるもの。しかし同時に、常に人間の現実生活に影響を与えるもののことです。
フーコーはこの言説の分析を通じて、人間のあり方と社会と権力との関係がどのようなものであるかを示しました。
ちょっと聞きなれない言葉かもしれません。わからないなら、コメントくださいね。
簡単にいえば、この言説が我々を支配している側面があるということです。我々は技術を使っていると思っていながら、実は技術に振り回されていると言ってもいいすぎではありません。
フーコーはそのことを、綿密に分析したのでした。
さて、 今回紹介する著作は、1969年に書かれた『知の考古学』という著作です。
今回は、2ページ足らずの「緒言」のメッセージを取り出してみましょう。
この緒言は必ずあなたの役に立ちます。今はまだ理解できなくても、来るべき時にこの重さがわかるときが来るでしょう。
フーコーはこの緒言で、『知の考古学』という著作の目的がどういうものか言っています。
簡単にいえば、フーコーが築いてきた過去の著作で企てたこと(言説の分析と社会・権力との関係を示すこと)をらせん状に進みながら、企てたことの前に戻ることだというのです。
これは一見奇妙です。だって、普通は進化して前に進むことはあるでしょう。でも、前に進みながら、実は 同じところを回っているのだというのです。
メビウスの輪のようなものをイメージするといいのかもしれません。
まず、ここから読み取れるメッセージを僕なりに言いましょう。
わたしたちは、通常後ろを振り返らず、前に進むことで、進化したと思っている節がある。
でも、がむしゃらに前に進んでも、前よりも後退しているような気分になったことはないだろうか。
フーコーは、別にそれは普通のことだというのだ。前提と思われてきたことを絶えず疑問に思いつつ、前提が正しくなければ修正しつつ進むこと、その大事さをフーコーは知っていたからだ。
例えば、あなたが1億円稼ぐことを目指して、その通り行動して成功を収めたとしましょう。
でも、ある失敗でこの稼いだ1億円が0円になったり、借金を抱えてしまうこともあるでしょう。
これは、失敗なのではなく、当たり前の過程なのです。
フーコーは簡単に言えばそういうことを言っています。ただし、前提の間違ったところを修正できる人なら、また同じ地点に戻っても、もっと大きな成功ができるかもしれないことも言っています。
ここまでのメッセージはわかりましたか?
では、次のメッセージに移りましょう。フーコーは、自身が空虚にしておいた「考古学」(アルケオロジー)という語に意味を与えることがこの『知の考古学』の目的だとも言っています。
これはどういうことでしょうか。
私の例でいえば、「世界平和 」という語は、まだ人にとっては極めて空虚に感じるかもしれません。
自分なりにも世界平和の完全な道筋が組み立てられているわけではありません。
でも、この「世界平和」という語に意味を与えるために行動し、また書き記すことが必要なのです。
そのためには、自分で考えて、わかりやすく相手に伝える必要があるのだ、ここでのメッセージはこうです。
あなたに置き換えましょう。あなたは現在の人生で目的や目標としている言葉はありますか。
それがあれば、その言葉は完全には完成されていないことでしょう。
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でも、その言葉に意味を与え続け、絶えず行動すること、表現することを忘れるな、そういうことです。
哲学者のメッセージといっても、そんな難しいことでは実はないのです。
では、次に続けてみましょう。
フーコーは最後に、言説の領域であるアルシーブ(書庫、英語でいうアーカイブ) に関する分析を考古学は担うと言っています。
これはどういうことでしょうか。難しいことを言っているように見える。
これはでも、現代ならきわめて簡単なことです。
TwitterやFacebookで例えば医者ひとりひとりが発言していることを見つめて、その共通性やその発言の前提を見つけ出すことだというのです。
これは現代でいうビッグデータ分析と連なるものがあります。
ちょっと考えてみてください。私たちインフルエンサーにもそういうものはないでしょうか?
確実にありますね。自分の自立から自由を求めること。人とつながって、社会を良いものに変えていくこと。インフルエンサーとなった人が誰でも社会で活躍できること。
そういう未来を信じているはずです。状況を知っている人ならば、わかりますが、これは既に現実になっています。 そして、この拡大はやむことがないことも同時に我々インフルエンサーは知っています。
そういう分析をフーコーが最初に行った人物なのです。もちろん、先駆者としてニーチェやキルケゴールはいました。
ここまで考えていけば、哲学が実に面白いものだと気付いてくれた方もいるのではないでしょうか。
たった二ページの記述で、これ以外にもたくさんのメッセージが含まれています。
それは、社会批判的なものもそうです。今回はあえて書きませんでした。
そして、そのメッセージにあなたは実は触れられるのです。こんな機会に恵まれていることは感謝すべき事実です。
読むのにチャレンジしたい方も気軽にFacebookなどで相談ください。
今回は、ここまでにします。何か疑問などあれば、気軽にメッセージくださいね!
「草の根平和推進者」 平高橋聡でした。読んでいただいて、ありがとうございました。