ツァラトゥストラのメッセージ
【ニーチェのツァラトゥストラ1】
ドイツの有名な哲学者ニーチェの代表作
『ツァラトゥストラ』3章の「重さの霊」を読んでみましょう。
一節に次のような文章があります。(以下の抜粋は中央公論社・世界の名著版から)
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とるに足らないものをわずかな量だけ摂ることで身を養い、
いつも飛ぼう、飛び去ろうという身近な心構え、これが私の性癖だ。
それは鳥の性癖を持っているとは言えないだろうか。
そしてとくに、わたしが重さの霊の敵であること、これこそ鳥の性癖である。
まことにそれは不倶戴天の敵、宿敵、根本の敵である。
おお、私のこの敵意はすでに八方に向かって翼をふるったのだ。
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重さの霊とはなんでしょうか。
このヒントは、サブタイトルにあります。
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不倶戴天の敵である重さの霊とは、
ここではおもに世俗的な他律的価値観念である。
真の自己に帰れば、自由と軽さが得られるのだ。
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世俗的な排他的価値観念とは、ずばり他人からの指図を待って
がんじがらめになって飛べない鳥のようなもの。
だからニーチェは、重力にしばられて動けない霊を重さの霊と呼んでいるのです。
そしてニーチェは二節でいいます。
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かれは、大地と生を重いものとして考える。
重さの霊がそう望むのだ。
だが、重さの霊に抗して軽くなり鳥になろうと望む者は、
おのれみずからを愛さなければならない。
―これがわたしの教えである。
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鳥になって飛ぼうと思うものは、おのれみずからを愛さないといけない。
ニーチェ=ツァラトゥストラの教えはわかりやすいです。
ただ、彼はただ飛ぶだけではいけないといいます。
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すなわち、わたしの教えはこうだ。
飛ぶことを学んで、それをいつか実現したいと思う者は、
まず、立つこと、歩くこと、走ること、よじのぼること、
踊ることを学ばなければならない。
―最初から飛ぶばかりでは、空高く飛ぶ力は獲得されない。
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つまり、低空飛行が初めからできそうな状態であったとしても、
低空飛行することに満足するな、ということです。
空高く飛ぶようにするためには、様々な部位を鍛えなければなりません。
様々なことを鍛えないといけないということは、
どれか一つだけだといけないのです。
どれか一つだけ、ではなく総合的に高く飛べるための訓練をしないといけません。
これは何にでも言えることではないでしょうか。
それぞれの長所を伸ばしつつ、それだけではなく、自分ができないこともできるようになる。
そうやって人間はより長所を伸ばすことができるでしょう。
草の根平和推進者 平高橋聡