心のブレない軸を持つ
こんばんは!
哲学エヴァンジェリスト高橋聡です。
今日は心の余裕を持つために必要な
「自分の考えの芯」とは何か、について考えましょう。
通常、芯とか軸というと全くブレないものを想像しがちです。
でも、実際は地震が来ても、折れないような柱といったものの方が、
折れてしまう柱より強いのです。
つまり、衝撃があった時に、全く動かない硬いだけの芯よりも、
しなやかで力を逃す竹のような芯の方が実は強いのです。
それと同じよう、あなたの「考えの芯」も、
ある程度柔軟性を持って力を受け流すことができる芯である必要があります。
では、今日はちょっと長いですが、
聖書とブッダのことば、
およびキルケゴールの日記から
およびキルケゴールの日記から
抜粋した文章から、
そのことについて考えてみましょう。
1.詩篇119:114
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あなたは我が隠れ場、我が盾です。私はみ言葉によって希望をいただきます。
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この詩篇でいう「あなた」というのは、
キリスト教では神のことです。
キリスト教では神のことです。
み言葉とは、聖書とその本質であるイエス・キリストそのものを指します。
さて、この文章はあなたにとって
どんな意味があるでしょうか。
どんな意味があるでしょうか。
考えて行きましょう。
信仰のブレない軸である神様、
あなたは私の隠れ場であり、
また私の盾でもあります。
私は、自分を勇気付けてくださる言葉によって、
希望を抱いて生きることができます。
あなたにとって、
ブレない軸のような隠れ場、盾となる存在はあるでしょうか。
何も、私はキリスト教の神をあがめようと
言っているわけではありません。
言っているわけではありません。
上でも話した通り、
考えの基礎とか柱がしっかりしていることを
ここでは神さまと表現しているのです。
もう一度聞きます、
あなたはしっかりとした考えの基礎を持っていますか?
あなたはしっかりとした考えの基礎を持っていますか?
そのような基礎を持っていれば、
それは時には自分の隠れ場、盾ともなってくれるものなのです。
そして、その基礎を言葉で説明できるようにする必要があります。
あなたは、しっかりとした考えがあっても
ちゃんと言葉に出して説明できるようにしていますか。
では、次に参りましょう。
2.ローマ3:24
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彼らがキリスト・イエスの払った贖いによる釈放を通し、
…義と宣せられるのは、無償の賜物としてなのです。
…義と宣せられるのは、無償の賜物としてなのです。
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3.キルケゴール日記41
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そうではなく、神の愛がどれほど無限なものであるかを示すためなのである。
罪人の責めのために、お生まれになり、
そして死にたもうたということ、これこそが無限の愛なのである。
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2と3について、あなたにとって役立つメッセージを取り出しましょう。
信仰の基礎を説明しにやってこられたイエス。
そして、その信仰の基礎には、常に愛があったということです。
ここで釈放という言葉が出てきています。
釈放とは、罪人が牢獄から解放されることです。
そう、イエスがやってきて言葉で自分の中のしっかりした考え、
この場合は信仰の基礎が愛であることを説明したことは、
我々を解放してくれたのです。何から解放かというと、
説明をしないでタカをくくってた連中から解放してくれたのです。
あなたはこのメッセージからどういうことを考えますか?
ちゃんと言葉に出して説明するということが分かった上で、
最後にブッダの言葉を見てみましょう。
4.スッタニパータ532
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内面的にも外面的にも執著の根源であるような諸々の束縛を断ち切り、
一切の執著の根源である束縛から脱れている人、
一切の執著の根源である束縛から脱れている人、
そのような人が、まさにその故に<育ちのいい人>と呼ばれるのである
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これはどういうメッセージでしょうか。
執著とは、何かにとらわれすぎていることのことです。
どういうことでしょう。
どういうことでしょう。
確かに、人の心を動かすには言葉がないといけません。
でも、言葉だけではそれは不可能です。
自分のしっかりとした考えを言葉で表しつつ、
行動で示すことが必要でしょう。
この場合、実は執著とは
言葉にとらわれ過ぎてもいけないということです。
実際のところ、
言葉化できることと、そこから行動すること、
つまり言動の両方が合わさって
初めて本当の心、考えといったものが作られるのです。
私はこのことがわからず、ずいぶん苦労しました。
私自身は頭でっかちな方で、
いつも言葉を発するだけのことが多かったし、
今ももちろんそういう傾向にあります。
でも、それを自覚して行動するのと、
全く自覚せずに行動するのは違います。
あなたは、何かにとらわれ過ぎてはいませんか。
心の余裕を持つには、
とらわれすぎるものから身を話すことも
時には必要かもしれません。
時には必要かもしれません。
そしてあなたの「考えの芯」こそ、
最も大事にすべきものです。
それぞれ頑張ってまいりましょう。
それぞれ頑張ってまいりましょう。
そうすることで、心の平静、余裕といったものが
徐々に生まれてきます。
徐々に生まれてきます。
以上、哲学エヴァンジェリスト高橋聡でした。
岩波書店
1958-01