どうもこんばんは、高橋聡です。本日は大阪は雨の予報でしたが、雨は降らずに比較的暖かい曇りとなりました。車で出かけましたが、昼間は冷房をつけておりました。
さて、前回まではサンデルの正義論を読む前に知っておいたほうがよい前提を見てきました。前回は美徳型正義論という正義論の三類型の最後のものを取り上げましたね。
美徳型正義論の概要|サンデル『これからの「正義」の話をしよう』を読む前に知っておくべきこと3
まだ読んでいない方は是非読んでみてください。
今回からはサンデルの『これからの「正義」の話をしよう』(以下、『正義』)を1章ずつ読む際のぼくなりのポイント、大事に感じた点をお送りしたいと思います。
それでは、第1章の内容に入っていきましょう。
ハリケーン・チャーリーに伴う便乗値上げ
2004年夏にアメリカを襲ったハリケーン・チャーリーは特にフロリダ州に大きな被害を残しました。チャーリーの被害の後、フロリダの人々はチャーリーの直接の被害に加えて、便乗値上げにも苦しむことになります。
様々なものが値上げされました。たとえば氷は一袋2ドルで売られていたものが、10ドルとなりました。また家庭用発電機にいたっては、それまで1台250ドルだったものが、2000ドルとなったのです。
被害当事者であるフロリダの住民は、当然ながらこの物価の高騰に憤りました。
これに対して自由主義信奉者は、ハリケーンのような異常災害においても、市場の需要と供給が一致して価格決定がなされただけで、このような物価の高騰は正常な現象であって、州政府はこの高騰に対して介入すべきでない、という立場をとりました。
便乗値上げに対する正義への三つのアプローチ
このハリケーン・チャーリーが起こったあとの便乗値上げに対しては、三つの正義のアプローチがあります。
- 福利の最大化―功利主義
- 自由の尊重―リベラリズム・リバタリアニズム
- 美徳の促進―コミュニタリアニズム
これは前回までに見てきた三つの正義論と対応する考え方です。
それでは一つずつ見ていきましょう。
福利の最大化|功利主義
福利の最大化を重視するものに、功利主義という理論があります。前回までの解説リンクを貼っておきます。
功利主義の概要|サンデル『これからの「正義」の話をしよう』を読む前に知っておくべきこと1
この考え方は、社会全体で最も利益(幸福)が大きくなる決定をすることを重視します。社会的にもっともよいとはどのような状態なのかを考えるのが功利主義です。
この功利主義というアプローチをとると、便乗値上げはどのように考えることはできるでしょうか。
便乗値上げは正義にかなう、という考え方(便乗値上げ賛成論)
災害などに伴う便乗値上げも結局、自由市場での需要と供給の一致によって市場価格が決定されている。
氷が2ドルから10ドルに5倍になっても、苦しむ人はいるだろうが高い値段を出せばその人も氷を手に入れることはできる。
さらにその氷を売る人は幸福になる。
結果的に便乗値上げは自由市場で市場価格が決定され、それによって益を受ける人のほうが多くなる。
つまり社会全体の福利(幸福)を増大させるから、結局社会的に最も良い決定は便乗値上げをそのまま許すことである。
便乗値上げは不正義である、という考え方(便乗値上げ反対論)
困っているときに請求される法外な値段が社会全体の福祉に役立つことは決してない、という立場。
地震やハリケーンなどの異常事態で困っているときに法外な値段を請求されることは、災害被害者にさらに大きな苦痛を与える。
その苦痛は便乗値上げから得られる快楽よりも大きいため、社会全体は低減することになり、社会的に最も良い決定は便乗値上げを禁止することである。
自由の尊重|リベラリズム/リバタリアニズム
自由の尊重こそ最も重要な基準である、と考えるのはリベラリズムとリバタリアニズムでした。
その違いはこちらにも載せてあります。
自由型正義論の概要|サンデル『これからの「正義」の話をしよう』を読む前に知っておくべきこと2
この考え方は本当の自由が行使できる環境こそ正義だ、というものです。どうすればそれぞれ各人がしたいことができるのか、を重視する考え方です。
この立場に立つと、便乗値上げをどう見ることができるでしょうか。
便乗値上げは正義にかなう、という考え方(便乗値上げ賛成論)
自由市場は個人の自由を最も尊重する場であり、自由市場を行政機関が介入して変えさせるのはよくない、という立場。ネオリベラリズムやリバタリアニズムの立場がここに当たります。
自由主義が正しく機能することは、結果的に個人が経済的に自由を享受しようとするときに最も必要である。
何人も経済的自由を享受する権利を奪われてはならないし、お金もうけの搾取にあたる税金をかけることなど結局何の役にも立たない。
便乗値上げは起こるべくして起こった現象で、経済的自由を発揮しようとする商人の自由を侵害する便乗値上げ禁止はしてはならないから、便乗値上げこそ正義である。
便乗値上げは不正義である、という考え方(便乗値上げ反対論)
災害などの特定の状況下では、自由市場は本当の自由ではないこともある。
異常な状況にそなえるためのセーフティとして税金や社会保障はある。
だからこそ、課税はしないといけないし、義務は守るべき。
自由市場だから自由なのではなく、義務を主体的になって取り組んで行うことが最も自由な生き方だ、とカントはいう。
自由とは自律であり、他人に迷惑をかける選択をする段階で自立からは外れて結果的に本当の自由ではない。
だからこそ、便乗値上げへの政府の介入のほうが自由市場より自由をもたらすので、便乗値上げには反対すべきである。
美徳の促進|徳倫理学
美徳の促進とは、美徳を涵養し、悪徳を減らすにはどうすればいいかを考えるときに現れる道徳の最終形態。
別の問いでいうと、私が所属するこのコミュニティの重要な部分で、その行為はふさわしいのか、と問うこと。
便乗値上げは不正義である、という考え方(便乗値上げ反対論)
値上げをして稼ごうとする強欲は悪徳。悪徳とはつまり悪しき生き方を指す。
それに加えて、他人の苦しみが目に入らない場合は悪徳だともいえる。
目に余る強欲こそ抑え込むべき悪ではないか。
社会にとって強欲は本当にその社会にとってふさわしい選択だろうか。
以上、今回はハリケーン・チャーリーに伴う値上げ論争にも各立場から賛成論、反対論があります。あなたはどのように感じたでしょうか。
それでは以上となります。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


コメント
「適正,公平な社会のためには、虚偽は到底必要である」と判決を受けて敗訴しました。
どうやって生きれば良いですか
私は、虚偽事由で侮辱されて提訴され、敗訴し、様々なものを失いました。
これを提訴したところ、「適正,公平な裁判のためには、裁判では虚偽は必要である」として敗訴しました。(本人訴訟)
弁護士会と日弁連は、当弁護士に対し、「噓をつくことは正当な弁護士行為」と議決して懲戒処分せずに、直後に当弁護士を会長・日弁連役職に就任させており、原告が提訴した時には、「当行為を処分しないからといって、原告(国民)に損害を与えていない」と主張しては、再び争いました。
裁判官たちは、権利の濫用を許し、当理由で原告敗訴としました。
国家賠償訴訟(福井地方裁判所.平成24年ワ第159号)事件を提起したところ、 国は「争う」とし、「適正,公平な裁判のためには、裁判では虚偽は到底必要である」と判決して、原告敗訴としました。
裁判官に深々と頭を下げて喜ぶ国家公務員の方々の姿がありました。
(控訴 名古屋高等裁判所.金沢支部.平成24年(ネ)第267号で敗訴確定)
その後に刑事告発したところ、詐欺罪として受理されました。(時効で不起訴)
近年、再審請求しました。
再審請求では当然に憲法違反を訴えたのですが、再び「憲法違反の記載がない」の決定を受けました。(第一小法廷)(日弁連経歴者所属)
絶望と恐怖があるのみです。
日本は、法による支配(人権擁護)していますか?
さて近年、元裁判官の樋口英明氏は、過去の立派な行動(?)を講演し、ドキュメンタリー映画をも作成したと聞きましたが、 当事件において、詐欺加害者に加担するかのように、「適正,公平な裁判のためには、裁判では虚偽は到底必要である」と法を無視して言い渡したのは、樋口英明 です。
あなたは、詐欺被害で苦しむ人々に対して、このような卑劣な判決を言い渡して来たのですか?
この樋口英明を「正義の人」扱いするのは、妥当ですか。
この判決と原発訴訟の判決の(人間)関係を知っていますか。
この判決の後に原発訴訟の判決をしましたが、そこには共通する人物がいました。
定年後は、承知の通り、この原発判決を執筆等し名声を得るに至っています。
樋口英明は、当初よりこの定年後の構想を描いており、原発訴訟団の弁護士たちには、あとくされなく勝訴する(させる)
ことを望んでいたと思われます。
しかし、その前に目ざわりともいうべき国家賠償訴訟(福井地方裁判所.平成24年ワ第159号)が提起されたのです。
その原審の訴訟詐欺の被告とは、弁護士のTとM等であり、一方の原発訴訟の訴状を書いた弁護士もその弁護士T等だったからです。
定年後を夢みる樋口英明は、当然「虚偽事実を主張して裁判所をだまし、本来ありうべからざる内容の確定判決を取得した」と批難すべきところ、逆に「適正,公平な裁判のためには、裁判では虚偽は到底必要である」と ありうべからざる判決を言い渡したのです。
それでも現在、樋口英明は国民を欺いて 立派な人間として評価され活動しています。