人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

触媒としての自己の役割を知る|『思考の整理学』を読んで

 
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お久しぶりの挨拶

どうもお久しぶりです、さとやんです。

なかなかブログを執筆する気力がわかず、更新ができていませんでした。

でも最近何か書きたいなあという自分の中での欲求が少しずつ高まってきましたので、
またブログを再開していきたいと思っています。

課題本『思考の整理学』

先日、いつも参加している古典の読書会である人間塾in関西で
思考の整理学』が課題本になったので、この本を読みました。

実際投稿した日よりも、だいぶ前ではありますけども。

触媒としての自己

大学時代にも一度読んだ覚えがあるのですが、
今振り返ると40年前に書かれたこの本には時代を先取する発想がちりばめられていて、
にも十分に通用する発想がたくさんあるように感じています。
ぼくは『思考の整理学』に書かれている「自己は触媒のようなものだ」という考え方が
特に意識に残りました。

個性とは何か

平成に入ってから子供の教育でも、大人の自己開発でも、
「個性を伸ばす」方法やら、
「個性を発揮する」ための学習といった言葉が
よく使われているように感じます。

これは推測ですが、
たぶんこのような個性信仰の標語は
昭和の中頃以降しきりに叫ばれては来ていたのだと思います。

前面立って自分を発揮する個性

この「個性を発揮する」というような言葉を使うとき、
ぼくたちは自分の個性を前面に押し出して、
その個性に従った主張をするようなニュアンスで捉えているでしょう。

ぼくが受けた教育では、
建前上、こうした自分を前面的に出すことの必要性が
説かれていたと思います。

そしてそうした教育や自己開発の状況は、
いまでもそんなに大きく変化していません。

没個性=社会性を伴う真の個性

『思考の生理学』の著者である外山さんは、
こうした自己を前面に出すことに疑問符をなげかけます。

外山さんは外国文学を専攻していた学者ですが、
文学の表現法に着想を得て
40年前にすでに没個性的表現の大事さを強調しています。

外山さんによると、
自己は触媒である
というんです。

触媒とは、
それ自体が科学反応を起こすわけではないけれども、
その物質が存在することで化学反応を促進する役割を果たすものです。

具体例でいうと、
空気清浄機の脱臭などで使われている「光触媒」
冷蔵庫の野菜室で使われている「プラチナ触媒」などがあります

さらに唾液に含まれていて炭水化物を分解する速度をはやくする
酵素「アミラーゼ」も触媒の一種です。

自己が触媒であるとはどういうことでしょうか。

上の例で挙げたアミラーゼが唾液に存在することで、
口の中に入れた瞬間に炭水化物の分解が促進されるということです。

アミラーゼは分解されもせず、分解することも直接はしません。

在するだけで分解を促進するのです。

自己もまたそういう反応を促進する役割を担うのです。

たとえば蛙が井戸に飛び込んでいるとします。

これをただなんか井戸のほうであったな、と受け流す人もいれば、
松尾芭蕉のように感じたことなどを世界観を表出して
日本を代表する俳句に仕立て上げた人もいます。

これは素材自体は何も変化していないけど、
松尾芭蕉という自己が触媒として作用して、
その素材を見たときに言語的表現が生まれただけなんです。

これは自己を前面に出しているというよりも、
素材から受け取ったものを自己を通すことで
濾過されて純度が高い物が生み出されているような印象を受けます。

その人自身の自己は、
遺伝的要素もあれば、
生まれ育った環境、
特に家族などが大きく影響した複合的な要素から成り立っています。

遺伝も、社会的要素も含まれているです。

全く同じ体験をした人はいませんから、

自己は様々なあり方をします。

この様々なあり方をする自己が触媒として働いて、
いろんなものを生み出すでしょう。

ぼく自身はどんな触媒なのか、と考えたとき、
感受性から生まれる気遣い、
哲学から生まれる発想などがあるんじゃないかなと思います。

人の考え方や感じ方にはとても敏感なので、
気遣いは得意だし、
どの会話が最適なものか、
かなりわかるようになってきました。

昔から好きな哲学はまた違う側面で役に立っていて、
自分と周りの人、
周りの人同士の考え方をミックスしたときに生まれる着想のようなものが
自然とわくようになってきています。

ともにいろんな立場から見方を推測できることが、
ぼくの触媒としての価値を高めているんだと思います。

自分がしたいことだけに着目するんじゃなくて、
他の人のことを念頭に置いたとき、
自分が今したらその場がどう活気付くか、
そうしたことが真の個性だと言えるでしょう。

そして真の個性は、自分だけじゃなくて社会の他の人と関係します。

対人関係なしに個性は存在しません。

つまり個性は本来社会性を持つときに
最大限発揮されると考えることができるでしょう。

触媒としての自己を考える

ぼくたちは触媒である、
という考え方はこれまでの人間観を覆す考え方で、
普段しない発想です。

でも人間の能力や発想の具現化を考えたときに、
とても役立つ考え方だと思います。

自分はどのような化学反応を促進できるんだろうか。

ぜひこの考え方で自分をとらえてみましょう。

自己を内省してみましょう!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



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