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神道と仏教―日本思想の自覚と根源

 
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どうも、草の根平和推進者 平高橋聡です。よろしくお願いいたします。
表題にあるとおり、今日は神道と仏教について考えます。
神道と仏教とは、日本的という意味では元来分けることができない存在でした。
廃仏毀釈以前は少なくともそうでした。
廃仏毀釈とは、古神道(といわれたもの)を取り戻すために、神道、神社などに含まれていた仏教的なものを取り除こうとした、明治初期の運動のことです。
今回は廃仏毀釈に深く触れるわけではありません。
ここで分離された神道と仏教の印象の違いをここでは考察します。
まず、神道から受ける印象、イメージというものについて。
神社はまず山岳崇拝、信仰などから起こったといわれています。
それと同時かそのすぐあとに、自然物、人間が見るもの、おそれるものや人間の現象の一面などが神々として祀られました。
これらの神々を見て思うことは、神々間の争いは多少あれども、基本的には平和で、現世肯定、自然肯定の宗教でしょう。
そこにあるのは、少年時代の朗らかさ、自然の美しさへのあこがれ、素朴な恋愛感覚などです。
万葉時代、平安時代の和歌・詩に相通ずる、「もののあはれ」という感情こそまさに神道にはぴったりでしょう。
明暗でいえば、明を示すのが神道です。
一方、日本仏教は一概にいうのは難しいです。ですが、宗派を超えたイメージを取り出しましょう。
仏教は葬式やその後の先祖の供養など、死にかかわる宗教というイメージがまず強いでしょう。
そして、現世での利益だけを求めるのではなく、仏になったり、仏に頼ったりと超越的存在をみている。そんな現世否定的な教えを持っているイメージを受ける人が多いでしょう。
そして、インドで生まれ、中国大陸を通して日本に伝わった外来の文化というイメージもあるでしょう。
仏教が死について考えるのは、原始仏教以来の教え、つまり輪廻からの解脱や涅槃という境地とかかわりがあります。
明暗でいえば、死や墓など、日本においては暗を示すのが仏教です。
こうしてみると、現世肯定的で、日本人の万葉時代以来の感情を示したものである明の神道はいいものと考えがちです。
そして、仏教は元来外来の文化だし、死や供養など暗い部分ばかり見ている気がするので、良くないものと考える人も実際にいます。
しかしこの見方は正しいでしょうか。もちろん一面では説得力があるように見えます。
しかし、人間は生まれ、そこから生涯を歩み、やがて死に至ります。
輪廻が正しいか正しくないかは置いておいても、その事実だけは絶対です。
そのとき、現世を賛美し、楽しむ考えも大事です。
でも、苦しいことや、死に関して真剣に考えることが神道の教えに深くあるでしょうか。
残念ながら、神道的な考えには死の深みはほとんどありません。
ぼくら人間は、いつでも死の危険をはらんでいます。
そのため、死や不安を直面し、その際に、死と不安について徹底的に考える。
これは人間の常道です。
そして、この人間の暗部ともいうべき死・不安についての徹底した思索が
仏教そのものなのです。
もちろん、仏教を学べばすぐに悩みが取り去られるわけではありません。
キリスト教にしろ、イスラームにしろ、それは同じです。
でも、そういうきっかけを持ち、死という問題に対して真剣に考え、行動することができなければ、
ぼくの所感ですが、きわめて薄い人生しか送れないと思います。
そう、明暗と仮に世界を二つに分けたとき、明るさは闇がなければ引き立ちません。光には暗さが必要です。
つまり、人生の歩みの明るさを照らそうとすれば、暗い部分がないと明るい部分が引き立たないのです。
仮に人間がある程度大人になって、そこから老いないで、何をされてもまた死なない存在だったらどうですか。
そういう存在だったとしたら、死については考えなくてもいいかもしれません。
でも、生涯が終わらないから、時間とともに宇宙の消滅を受け入れる存在でしかない。
短期間に死んでしまう本当の人間よりも、長く生きれる点では優れているかもしれませんが、
私はそういう存在になりたいかというと、そうは思いません。
老いないで死なない存在とは、神道の神に他なりません。
仏というのは、心の平安というべき涅槃に入りて死ぬからこそ価値があるのです。
終わりがあることと、終わりがないこと、どちらが素晴らしいかというと、
ぼくは終わりがあることだと断言します。
だからこそ、ぼくは神道的な考えのすべてを否定するわけではありませんが、
どうも享楽的すぎるところが多く、あまり共感できません。
もののあわれという日本独自だといわれる感情も、美しい部分はありますが、か弱いものです。
鈴木大拙は「大地に根付いた」宗教として日本仏教、特に日本浄土教と日本の禅宗を挙げました。
ぜひ次の書の一読をお勧めします。日本の思想の根源がここにあります。
鈴木大拙『日本的霊性』

日本的霊性 (岩波文庫)
鈴木 大拙
岩波書店
1972-10-16

 

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