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社会学について5〜ミードの社会学

2018/02/09
 
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どうも、哲学エヴァンジェリスト高橋 聡です。今日はプラグマティズムの哲学者としても有名なジョージ・ハーバード・ミードの社会学的実績を取り上げたいと思います。キーワードは三つ。シンボリックなコミュニケーション、一般化された他者、主我と客我です。

ミードの略歴

ジョージ・ハーバード・ミードは1863年、アメリカ東部のマサチューセッツ州で牧師の息子として生まれました。幼少から科学的に考えることが好きで、ハーバード大学で哲学を専攻し、そのあとにドイツに留学し心理学を学びました。帰国後、ミシガン大学で哲学・心理学の教授となって、プラグマティズムの哲学者ジョン・デューイと出会いました。1894年にデューイがシカゴ大学哲学科の学科長となることになったため、デューイと一緒にシカゴ大学に赴任しました。

ミードは元来哲学者・心理学者です。クーリーが社会学に心理学を持ち込んだのとは逆に、心理学に社会学を持ち込もうとしたのがミードです。ミードは自分の立場を「社会的行動主義」と呼びましたが、ミードのいう行動主義は生理学的な客観的行動(原初的なコミュニケーション行動)からシンボルをヒントに、人間の内面的な意識に迫ろうとするものでした。

シンボリックなコミュニケーション

ミードはクーリーのいう「鏡に映った自我」が生まれるためには、自分に向けられた他者の反応を読み取ることが前提だと考えましたが、シカゴのような多言語・異文化社会では、言語や価値観の違う人々の間では他者の主観をうまく想像できないと考えました。そこで声と身振りを合わせた有声身振りのような原初的なコミュニケーションに着目しました

有声身振りのようなコミュニケーションでは、内面の心理的変化と表現は表裏一体で、相手もそれを同様に理解しています。たとえば、驚きの声と身振りは驚きの感情を示していて、そのまま相手に受け取られて、相手も驚きます。ここでは自分の態度は、自分の声を聞くことでコミュニケーションと同時に形成されます。また他者の態度も同様にコミュニケーションを通じて形成されます。

ここでいう有声身振りは、コミュニケーションの道具であり、同時に「シンボル」です。シンボルは他者に自分の気持ちをつたえる道具であると同時に、自分に自分の気持ちを気づかせる道具でもあります。それは、自分自身に対して「他者の目から見た自分」を気づかせることに他なりません。

一般化された他者

ミードはシンボリックなコミュニケーション過程を自我の形成過程や社会化(大人になる過程)と結びつけました。シンボルによって他者が見た自分に気づき、他社からどう見られているかと自分に問い直すことができるようになると、心の中で自分に話しかける「内的会話」が成立します。そして、そうした内的会話こそが思考であり、思考の繰り返しによって自分を修正する「反省的知能」を獲得します

ただしミードはその際に、自分の中に取り込む他者には、個人的に強い影響を与えられる両親などとは別に、一般化された他者があると考えました。ここでいう一般化された他者とは、社会全体の役割や態度を意味しています。

ミードはそのほかにごっこ遊びの段階、ゲームの段階、役割取得という概念を重視します。ごっこ遊びの段階とは、お母さんを演じる子どもは、自分の母親をイメージしていることが多いでしょう。その際に、お母さんを演じることで、母親の役割取得をするのです。役割取得とは、「他者の役割を取得する」という意味であり、他者の立場に身を置き、そこから自分の行為を形成することを言います。

ところが、ゲーム段階になると役割取得だけではなくなります。野球を例に挙げると、ピッチャーやキャッチャーは父親や母親という役割ではなく、一般的なピッチャーやキャッチャーをイメージするはずです。ピッチャーやキャッチャーなどのそれぞれの役割とイメージするだけではゲームは成り立ちません。すべての役割(ポジション・立ち位置)を関係付け、ゲーム全体の中の役割を組織化しておかないといけません。こうなると、ゲームを成立させるために存在するすべての役割と全体のルールは、「一般化された他者」の姿から連想されるのだ、とミードは言います。

一般化された他者とこのように、ゲームを成り立たせている小さな社会全体のこととも言い換えられます。

主我と客我

ミードは自我が他者とのシンボリックな社会相互作用の中に形成されることについて、主我(I)と客我(me)というふたつの概念を提示して説明します。

ミードは主我とは、何者にも拘束されない個性的な自我の側面で、自己主張する能動的な自我であると考えました。これに対して客我とは、一般化された他者によってコントロールされる受動的な自我の側面であると説明しました。

ミードは行為を行う主体である自分が、自分を客体として意識することこそ、自我を意識することに他ならないと考えました。

ミードの場合、大人になってからでも役割(あるいは立ち位置)が変われば新しい客我が誕生すると考え、その際に、主我は客我に対して働きかけ、変容させ、新たな自分を生み出します。つまり、他者を通じて内省しながら、新しい自己を作り出す創発性が示唆されています。

ミードについてのまとめ

今回はミードの自我論を中心に見てきました。簡単に全部をつなげてまとめると次の通り。

シカゴのような多言語・異文化社会では言語の違いなどから他人の主観を簡単には想像できない。だからこそ、有声身振りのようなコミュニケーションに着目し、そのシンボル性を重視しました。シンボルとは、他社に自分の気落ちを伝える道具であるのはもちろんですが、その際に自分自身に対して他者の目から見た自分を気づかせるものでもあります。

社会化の過程でいうと、ごっこ遊びでは役割取得といって、特に一般化されていない自分の父親や母親を意識して、真似ることでごっこ遊びが成立します。ところがゲーム段階になると、一般化された他者(つまりそのゲームによって成り立つ社会全体)を意識しないことには、遊びが成立しないため、一般化された他者の存在はとても重要です。

自我の形成過程でいうと、主我と客我の二つが重要なキーワードです。主我とは個性的自我、客我とは社会的自我といってもいいものですが、ここでもやはり客我の形成には一般化された他者の存在が重要です。

このように、ミードはわかりやすく二元論的に社会化の過程や自我の形成過程を説明してみせました。シンボリック相互作用論の一つの大きな土台ですので、ぜひ押さえて置きましょう!

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