人間同士の人格的交流・実存的交わり|哲学の用語解説
どうもこんばんは、高橋聡です。今日は朝に歯医者にいってきました。歯の調子がよくないってつらいですよね。まだもう少しいかないといけないのですが、歯は大事にしないといけないなと実感しました。同時に散髪も行ってまいりました。暑くなってくるからちょうどいい時期に散髪したなあと思っております。
今回はヤスパースの概念、実存的交わりについてみていきたいと思います。その前に、前回の記事もヤスパースと関係のある記事なのでそちらもみていきましょう。
前回の記事|対象とならない全体を指すことば・包括者(超越者)
前回はヤスパースの包括者という概念についてみていきました。ヤスパースの重要な概念なので、まだ見ていない方はぜひ読んでみてくださいね。下にリンクをのせておきます。
実存的交わりという概念
実存的交わりとは、ヤスパース哲学の概念で、実存としての自己と他者との人格的な関係を指します。ところでヤスパース哲学において、実存とはどういうことでしょうか。
実存とはなにか
ヤスパースによれば、実存とは人間が限界状況に直面して挫折を乗り越え、自由に生きる存在となった状態をさします。
実存的交わり
限界状況によって実存を自覚した自己は、孤独な存在ではなく、他者との交わりにより真理を求めて実存を深めようとします。愛によって辛抱強く交わりを継続させながら、たがいの真実を吟味して戦わせる闘争を行います。こうした状況を愛しながらの戦いと呼ぶこともあります。
もっというと実存的交わりとは、真の自己を目指す者同士が誠実に隠し立てなく自己を探求し、吟味しあうことで、実存としての自己を開明(ブレークスルー)することです。
「彼が彼自身でなければ、私は私自身にはなれない」とヤスパースは語りました。つまり自己は他者とともに存在し、他者との交わりや関係を通して初めて自己である、とヤスパースは説いているのです。
実存的交わり・講評
ぼくはこうした実存的交わりを聞くと思いだす文章があります。
人間とは精神である。精神とは何であるか。精神とは自己である。自己とは何であるか。自己とは、ひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。 あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。 自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである。 自己とは精神であり、関係であり、関係が関係に関係するということである。(キルケゴール『死に至る病』)
他者があってはじめて自己があって、その他者との関係性があってはじめて自己は成り立つ。そしてキルケゴールのいう自己とはまさしく実存としての自己であります。
そうした実存に目覚めた自己同士が真摯に人格を高めあうように、自己の自由を拡大するというのは素晴らしいことです。
以上、今回は実存的交わりについて考えてきました。最後まで読んでいただき、ありがとうござました。
高橋聡記す