貪瞋痴の三毒と身口意の三業、ブッダのことば
こんばんは、哲学エヴァンジェリスト高橋 聡です。
今日はあなたにブッダのことばの引用から
仏教の三毒と呼ばれる貪瞋痴と
身口意の三業について考えましょう。
まず、スッタニパータには
口について次のようにあります。
//
人が生まれたときには、
実に口の中には斧が生じている。
愚者は悪口を言って、
その斧によって自分を斬り裂くのである。
// スッタニパータ六五七、中村元訳 岩波文庫版
身口意という三業からみていきましょう。
身口意とは、身体、口、意識のことです。
業とは活動・行動のことですから、
三業というと
それぞれ身体的活動、言語的活動、精神的活動という
意味になります。
スッタニパータ六五七以降の節では
特に言語的活動に焦点を絞って
人間が行う悪い行いについて述べられています。
次に三毒を説明しましょう。
毒とは、煩悩のことです。
貪瞋痴とは、字の通り、
むさぼり、いかり、おろか と意味です。
むさぼるほど欲を持つこと、
いかるほど執着すること、
おろかなほど無知なこと。
これらが煩悩の基本三要素です。
欲にとらわれてつい発してしまうことば、
怒りにかられて発してしまうことば、
無知ゆえの愚かな発言 。
これらが悪口です。
煩悩にとらわれて発する言葉が悪口と言えます。
ふつう悪口は人を傷つけるものだと我々は
理解しています。
でもブッダは悪口は他人を傷つけるだけではなく、
自分自身を傷つけているのだ、と言います。
自分自身の口の中に斧があり、
その斧を悪用すると自分自身を
傷つけることになることを、
あなたは気づいていましたか。
だから、悪口はできる限り言わないように
抑制すべきです。
仮に悪口を言ってしまっても、すぐに謝ること。
そうした人間関係の大事さを
ブッダは教えてくれます。