―古典のメッセージから学べ!―
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―古典のメッセージから学べ!―
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あなたは昔の時代の書物を古典で時代遅れのものとして、
意図的に読まないようにはしていないだろうか。
その態度は非常に損をしているように、ぼくには思われる。
どのような書物もむろん、時代的制約は免れない。
つまり、当時の社会的状況や思想の背景などを完全に超え出た著作は一つもない。
それだからといって、当代の能力ある人が書き記した書物を捨てるのはもったいない。
なぜなら、その書物を書いた人が生きた時代における最先端に思想がそこに詰まっているからだ。
雑多で今の時代に役に立たない書物もたしかにある。
だが、紙が高級で今ほど誰もが情報発信できない時代、きわめて価値ある情報が書物には込められていた。
特にその生きた時代の背景などが現代と似ている場合は、一読の価値がある。
今回紹介することばは、江戸時代末期、ペリーの黒船がやってきたときに数多くの門弟を有した佐藤一斎のことばだ。
江戸時代末期も現代も、鎖国的平和にある日本の新たな幕開けの時代であり、まさしく様々な面での革命が起こりつつある時代である。
この似通った時代に佐藤一斎が古典をどう評価したのかを見てみよう。
佐藤一斎『言志四録』//
宋や明の時代の語録を読むと、
私には納得のいくところと、いかないところがある。
また信じることができるところと、できないところがある。
疑ってよいところと、いけないところがある。
だが、繰り返しこれらを読んでいると、これらの賢人と一堂に会して、
親しく討論し合っているような感じがする。
これは古人を友とすることで、まことに有益なことである。
//岬龍一郎訳
佐藤一斎は儒学者であるから、宋代や明代の語録といっても、朱子や王陽明のものを特に多く読んだことだろう。
今から500年前の本を読んで、あなたは教訓を得ることができるだろうか。
もちろん、各時代の制約からすべてを真に受けてそういう語録を読むことなどできない。
だが、時代的制約を乗り越えたところにある人間や自然への洞察、そういったものは
生きた時代が変わっても、そう変わらないものだ。
そして聖人、偉人たちの洞察に価値があると判断するのは、語録や書物を読んでいる本人自身なのだ。
そして、そういった洞察に対する判断力が磨かれてきて、
古人と対話できるように感じるくらいになれば、古人と友になるといったことで有益なのだ。
これがメッセージです。
あなたも一度古典を手に取ってみてはどうでしょうか。
必ずそこには得るものがあるはずです。
草の根平和推進者 平高橋聡