人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

『無知の知』とは? 莊子の考え

 
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●道家・荘子
 荘子の語ることは深い。だが、荘子の考えは矛盾を抱えた思想として批判されてきた。偏狭なる儒学者によって。無為之為はなさないことなす、だと。そしてそれにひきづられた道教の道士等はそれをなしてきた。
 全くもって理解しかねる。そのような解釈で言語が成り立つか。なさないことを指すのならば、之為の部分などいらぬ。
 荘子のいう「無為之為」「無知之知」といったものは、もっと深い。「無知之知」は知らないことを知る、これは良い。このことも当然さす。だが、無知の部分の知は表層に現れる知といったものを否定し、もっと深奥なる知を知ろうとせよ、ということである。「無為之為」はまさにこれと同じで、表面的な為にばかりとらわれず、深層にある為を見なければいけないことを言う。漢字が如何に深いか。偏狭なるものはこれを貶める。言語の柔軟性は現代だけにあるのではなく、過去にもたぶんに存在する。

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