人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

レーヴィット『ニーチェの哲学』(柴田治三郎訳)第二章メモ

 
この記事を書いている人 - WRITER -
哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
詳しいプロフィールはこちら

ニーチェの著作の時期分け
 1.《ニーチェを体系的に読むことを学んだものは、かれの移り変わる展望の多彩な豊かさには驚かず、かえってその哲学的問題が不変であるどころか単調でさえあることに驚くであろう。「性格のある人間は、たえずくりかえして現れるその人独特の体験をもつものだ。」》p16
 2.ニーチェの著作の第一期…『悲劇の誕生』『時代はずれの考察』
 第二期…『人間的な、あまりに人間的なもの』『曙光』『楽しげな学問』の最初の4巻
 第三期…『ツァラトゥストラ』ではじまり、『この人を見よ』まで p17
 3.《ニーチェが智慧への道に初めて決定的に踏み出したのは意識的な「デカダンスにおける前進」で―それは、そこではもはや何物も真ではなく、一切が許されているという極端なニヒリズムの危機的な限界までつづく。永遠回帰の哲学への移行は更に『ツァラトゥストラ』における第二の危機によって表現される。……『ツァラトゥストラ』から、その先のすべては、極端なニヒリズムの自己克服としての永遠回帰の哲学に、何の無理もなくあてはまる。》p19
 4.《智慧に至る一つの道のこの二様の転回―敬虔な精神の「汝まさになすべし」から、自由になった精神の「我は欲す」へ、そして「我は欲す」から、そこに「我は在り」そして絶えず回帰す、への転回―は、全体としてニーチェの哲学的体系を特徴づける。「我は欲す」への最初の決意は、従来のすべての拘束から、そしてニヒリズムへ、解放する。第二の決意、すなわち、自由の中から自己自身を企投しようとする決意は、存在の最高の天体から受けた霊感の裏面である。無への自由―獲得されたかれのその自由―から運命愛へ自己を解放する「二重の意志」は、無への決意をした現存在の極端なニヒリズムを裏返して、等しいものの永遠に必然的な回帰を必然的に意欲することになる。》p21
 5.《永遠回帰の教説は『悲劇の誕生』をくりかえし、後に来る「一切の価値の顛倒」を可能にする。なぜならば、この顛倒は、その原理において、任意の個々の価値についていうのではなくて、問題になった「現存在の価値」そのものと、一般に、無への意志―ニヒリズムの意志―を等しいものの永遠回帰の有(存在)の意欲に、転回することをさすのだからである。》p22
 レーヴィットによると、ニーチェの著作は三段階に分けられる(2)。これは、ニーチェが『ツァラトゥストラ』の「三度の変化」において取り扱っているところから考えられたものである。そこには二度の危機がある(4)。4や5で取り上げたような変化を、ニーチェはその著作において辿っている。そして、最後になって、再び『悲劇の誕生』の問題へと戻ってくるのである。つまり、ディオニュソス神の《存在と時間の全体を決定的に肯定する姿勢》を獲得しようとする意志が働くようになる。そうして彼の体系は円環をなす。

この記事を書いている人 - WRITER -
哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
詳しいプロフィールはこちら

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Copyright© ニーチェマニア! , 2011 All Rights Reserved.