元気を与えられるニーチェの3つの格言
にくげなる調度のなかにも、一つよき所のまもらるるよ
訳:どのような醜いものでも、一箇所は最低取り柄があるものだよ
清少納言『枕草子』
どうも哲学エヴァンジェリスト高橋聡です。最近ジメジメしてて天気もよくないですが、暑いですね。みなさんも元気ですか?
ぼくはちょっと元気がありません。暑くて元気が出ないヨォ、ってあなたに元気の出るニーチェの格言を3つ取り出して解説していきます。
出典はすべてニーチェの『ツァラトゥストラ』中央公論社世界の名著版からです。
早速みていきましょう。
1.自由の見方を転換する
「何からの自由?」そんなことには、ツァラトゥストラはなんの関心もない。君の目がわたしに明らかに告げねばならぬことは「何を目指しての自由か」ということだ。
圧政から解放された自由。フランス革命で市民が獲得した自由はまさしくそういう自由です。普通自由といえば何かから解放された自由を思い浮かべる人が多いでしょう。結婚生活の重みからの自由。独り身の寂しい気分からの自由。これらはすべて「○○からの自由」という言葉に翻訳できます。
ニーチェ、ツァラトゥストラ、超人はそんな自由などには関心がない、と断言します。何を目指しての自由か。つまり、目標を目指してその目標を実現するための自由、このことにしか興味がないと言うのです。簡単にいうと、自由の捉え方の違いです。束縛からの自由。これは一見素晴らしいように見えますが、内実は人間を束縛するものなんてたくさんあるわけですから、それをゼロにすることは絶対にできません。そんな束縛をなくすような試みを行うよりも、むしろ目標や目的を実現するために自由があることを認識し、その自由をフルに活かせ!とニーチェは言っているんです。
例をあげましょう。結婚したい2人のカップルがいます。女性側の両親は結婚に大反対。束縛をなくす自由という捉え方をすると、結婚に反対する両親が亡くなるのを待つとか、気が変わるのを待つとか、その両親がいない場所へいって初めて自由を感じることができることになるでしょう。
でも、ニーチェはそうではない、というんです。束縛などなくならない。ならいっそ、束縛のあるまま結婚してみたまえ、そこから彼女の両親を説得するなりする試みをせよ、と言うわけです。だって両親が反対していようが結婚という制度は当事者同士の署名があれば結婚できる自由があるわけです。その自由を見捨ててはいけないよ、と指摘しつつニーチェは元気を我々に与えてくれます。
2.徳とは不用なものだ
最高の徳は通常性を離れた稀有なもの、不用のものであり、輝きをもっていて、その光は柔和だ。最高の徳は贈り与える徳である。
徳とはいつもあるものではなく、特別視されるほど珍しいもの。さらには普段は使われることがないもの。輝きがあり、優しい光であること。さらに、贈り与える徳であること。その条件を満たしたものが、最高の徳と呼ばれるものだ。
ニーチェはこう言います。ニーチェがここでイメージしているのは金です。
贈り与える愛や徳は、価値のあるあらゆるものの強奪者とならざるをえない、ともニーチェは言います。新時代では愛を贈り与える者、徳を贈り与える者、そういった者がすべての価値を手に入れます。
だからみんな、愛や徳のくれくれ君になるのではなくて、進んで愛や徳を贈り与えるようになろう。そうすることで、あなたはすべて必要なものを手にいれることができるのだ!とニーチェは元気を与える発言をしてくれます。あさましい心は絶対ダメ。寛大で与える心を大事にしよう。
3.愛とは没落
愛することと没落することとは、永遠の昔からあい呼応している。愛への意志、それは死をも意欲することである。お前たち臆病者に、わたしはそう告げる。
没落するとは、哲学エヴァンジェリスト風解釈だと、相手を理解するために、徹底的に相手に合わせ、あえて高みから下へ降りること。愛することは相手を理解したい気持ちが絶対に伴うことから、この解釈はここでも正しいと裏付けられると思う。永遠の昔から愛と没落は関係しているのだ。愛することは、その相手のために死んでもよいということを含意するそれはそれは美しいものだ。
お前たち臆病者、とここで呼びかけられていますが、あなたはハッと思いましたか?臆病者からすぐ外れるようにしましょう。すぐさまニーチェの元気がでる言葉を胸に行動しましょう!
まとめ
今日は三つだけ格言を取り上げました。どれも思ったよりエネルギーが入っていて、最初は5つ格言を取り上げる予定が今日は3つだけとなってしまいました。定期的にニーチェ格言シリーズはやっていきたいと思いますので、どうかよろしくお願いします!気になりましたら、実際にツァラトゥストラを読んでみてくださいね。読んでみたら必ず元気が出て、絶対に損する気はしない書物ナンバーワンです。ではまた!