人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

自由型正義論の概要|サンデル『これからの「正義」の話をしよう』を読む前に知っておくべきこと2

2022/11/18
 
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どうもこんばんは、高橋聡です。円安が進んでいるのに加え、世界的な材料高、物価高のおかげでモノの値段が高騰しています。海外からすると、日本に資産を持っていると資産が目減りしてしまいます。外資系企業で働いているので、そういう影響もちょこちょこ出てきた感じがします。

さて、前回は福利型正義論としての功利主義を取り上げました。以下にリンクを貼っておきます。

功利主義の概要|サンデル『これからの「正義」の話をしよう』を読む前に知っておくべきこと1

今回は自由型正義論を取り上げます。

自由型正義論にはリベラリズムリバタリアニズムがあります。どちらも自由を権利として尊重することが正義だという考え方です。

その二つに分けて今回は概要を少しずつ見ていきましょう。まずはリバタリアニズムから見ていきます。

リバタリアニズム

リバタリアニズムは簡単にいうと、政治的自由に加えて経済的自由が守られていることを権利として主張する考え方です。

経済的自由とは、たとえば個々人の所得を国家の課税されずに、自分が得た財産をそのまま手に入れ、その財産を行使することができる自由のことを指します。

この根底にあるのは、私的所有権の考え方です。私的所有権を個々人が発揮できる社会こそリバタリアニズムにとってもっともよい社会なのです。

私的所有権を哲学的に最初に唱えたのはイギリスの哲学者ジョン・ロックです。リバタリアニズムを信奉する人々はロックをその理論の始祖として考えている人が多いです。

現代にこの私的所有権の考え方を最も重視しようと主張したのが、アメリカの政治哲学者ロバート・ノージックです。

彼によれば、妊娠中絶の禁止や売春の禁止などの温情主義的政策はすべて否定するべきだ、といいます。なぜかといえば、私的所有権には自分の身体も含まれ、その身体の自由を行使する権利は誰にでも与えられているんだから、その権利を奪う法律は不正義だ、という論法です。

リバタリアニズムはつきつめていえば、個人の自由な意志を尊重しようとする正義論です。ぼくはリバタリアニズムをリベラリズムに対して、拡張された自由を主張する考えだ、と表現します。

リベラリズム

リバタリアニズムに対して、リベラリズムは制限された自由を主張する思想だ、といえるでしょう。

制限された自由とは、政治は公平であり、不平等を是正するもので、経済的自由を重視するあまり弱い立場の人々が困らない社会をつくるのが正義だ、とする考え方です。

国家により経済的自由を制限し、課税によって平等を促進し、政治的な自由を重視するのがリベラリズムだ、ともいえましょう。

ドイツの哲学者イマヌエル・カントによれば、自律こそ自由であり、責任を果たすために義務的行為をなさないといけない、といいます。権利の主張には義務の遂行が必然とついてまわる、という考え方のことですね。政治的自由をみんなが享受するには、納税の義務を果たす必要がある、というのが近代国家の原理ですが、それを明文化した哲学者がカントです。そしてカントがリベラリズムの哲学上の祖だとひとまずしておきましょう。

アメリカの哲学者ジョン・ロールズは仮想的な社会契約を考慮した際に、人は平等に行為すべきで、周りを配慮しない自由は制限するべきだ、と主張します。ロールズは現代版のリベラリズムの代表的論者です。仮想的な社会契約とは無知のヴェールを社会の各構成員すべてがかぶっていたと仮定したら、自分が最も貧乏で境域的にも劣った環境に自分が置かれているかもしれないから、この仮定下においては、ある程度の国家的な社会保障の仕組みを整えることにみんなが同意する、という考え方です。周りを配慮しないでただ経済的自由を行使するだけじゃなくて、結局国家的な保障を大事にする考え方をしたのがロールズだ、といえるでしょう。

さて、今回は特徴自由型正義論の概要をおさえてまいりました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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