大阪府岸和田市の日照山正覚寺にお参りにいきました
どうも、哲学エバンジェリスト高橋 聡です。今回は大阪府岸和田市宮本町にある浄土宗のお寺、日照山正覚寺の参拝レポートです。
ぼくは普段岸和田にいることが多いので、いつも寄ってみようかなと気になっていたんです。今回寄ることができました。
ではさっそくみていきましょう。
正覚寺の門と縁起
岸和田市の旧市の中心地である旧26号線(今の大阪府道204号線)。その旧26号線の池田泉州銀行岸和田支店の向かいにきれいな門が見えます。それが正覚寺の東門です。
いろんな建物があります。
正覚寺の縁起は正覚寺ホームページより見ることができます。一部抜粋でみていきましょう。
寺伝によれば、もとは紀州根来寺(和歌山県岩出町にある新義真言宗総本山根来寺)の末寺で「摩頂山圓通寺智光院」という寺院であった。しかし、天正十三年(1585)、豊臣秀吉が大軍をもって和泉から根来に入り、根来・雑賀の一揆を鎮圧する。その兵火を受け、和泉一帯の根来勢力はほぼ一掃される。(正覚寺HPより。以下同じ)
もともとは根来寺の末寺だったんですね。戦国時代、根来衆は本当に力をもっていたというお話です。正確な創建年代は不明とのことですが、戦国時代にはすでにお寺自体はあったのでしょう。
浄土宗としての第一世は、團蓮社傳誉上人である。位牌も無く、入寂年歴不詳であるが、「當寺開山團蓮社傳誉和尚」と書かれた御名号一軸が現存するので明らかである。その後、二世 玉誉上人(入寂年歴不詳)が文禄二年(1593)に中興し、寺号のみ改称して、正覚寺と名付けた。
元和元年(1615)大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡すると、ようやく戦乱の世に終止符が打たれる。このころ、根来寺より宰相行順大徳(宰相=僧侶でありながら俗世間で政治に参与し、大きな影響力を持つに至った権力者の側近の意か)が来錫、正覚寺第三世となる。
正覚寺はこの3人の僧の努力の賜物で現在まで存続したようです。
なお、江戸時代には徳本上人というお坊さんとも所縁があるみたいです。
正覚寺の本堂
こちらが本堂です。改装されていてきれいでした。
お寺の山号はこちら。日照山。阿弥陀様が御本尊ですから、良い名前ですね。
鬼瓦がおいてありました。なんでおいてあったかは不明。
残念ながら御本尊などは見ることができませんでしたが、参拝できてよかったです。
最後に正門かな、昔からの門を撮って終了です。ありがとうございました。
正覚寺の御朱印
正覚寺で御朱印をいただきました。整った綺麗な字でありがとうございます。和泉法然上人25霊場があったのは知らなかったです。
(2019年4月19日参拝)
当山の所在地など情報を記しておきましょう。
浄土宗 日照山 正覚寺
正覚寺の所在地:大阪府岸和田市宮本町27−8
以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。次回も岸和田のお寺の紹介です。