人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

わたしにとって「哲学」とはなにか

2021/05/13
 
この記事を書いている人 - WRITER -
哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
詳しいプロフィールはこちら

哲学ってなんだか難しそう。哲学ってよくわからない暗号みたいな言葉を使って、議論されている学問でしょう。哲学なんて役に立たないでしょう。
哲学のイメージってだいたいこういうものではないでしょうか。哲学に関していえば、こうしたイメージは完全に否定できません。でもそういうことがイメージとして語られてはいるものの、実際に哲学することには大きなメリットもあるし、自分の人生を見直すきっかけとなります。その点で、ぼくは哲学をいろんな人に知っていただきたい、と思ってブログを書いてきました。
ところが哲学の理解が進めば進むほど、正確な情報を書かなければならないという考え方が自分の頭に出てきました。そして哲学的テーマについて書くのが億劫になっていました。
今回の記事はぼくが哲学のおもしろさがわかった原点に戻り、哲学とは何かを考えていく記事となっております。

そもそも哲学とは

辞書的な定義でいうと、哲学とはギリシャで生まれた”世界・人生の根本原理を追求する学問”です。哲学史の最初に名前が出てくるのは、万物は水からできていると説いたタレスです。彼は水こそが世界の根本原理(アルケー)だと考えて自信の哲学を説きました。このようにタレス以降、ギリシャ哲学は世界の根本原理を追求しようとする学問となりました。ギリシャ哲学でこの形で説明をもっとも合理的に行ったのは、ソクラテスとほぼ同時代の人の哲学者デモクリトスです。デモクリトスは世界の最小構成単位はそれ以上分解することのできない原子であるという原子論を唱えました。
時代は下り、ソクラテスが登場すると、彼ソクラテスは今度は人間にとってもっともよいものとは何か、という倫理学を唱えました。ここに人間の根本原理を追求する学問としての哲学が生まれたのです。
このように哲学とは元来、世界や人生の根本原理を追い求める学問としてありました。

なぜ哲学が大事?

なぜ哲学が大事なのか、この質問にたいするぼくの答えを先に示しておきましょう。それは常識を疑って、その常識に含まれるウソや欺瞞を発見しその対処をすることで、自分なりのほんとうを見つけることができるからです。
ここで疑うという言葉を使っています。哲学では疑う力を大事にします。そして疑った上で答えを見つけだすのも同様に重要です。この疑う力と答えを出す力、二つをあわせたものが考える力となります。
哲学は端的にいうと自分で考える力をつけるためのものです。
具体例をだして考えてみましょう。
ぼくは統合失調症を患って、一時期仕事をしていませんでした。そのとき、仕事をしていない自分は無価値だと感じていました。これは社会の側で作られていた価値観、仕事をしない人間は非生産的だという常識のようなものから、ぼくが勝手に思いこんでいただけのことです。ところが当時はそうは思えずにいました。
そんななか、ニーチェの主著といわれる「ツァラトゥストラ」を何気なく読みました。難しいと思うところもありましたが、「どんな状況に置かれても、生きよ」というメッセージを受け取りました。そういうメッセージをよくよく考えてみると、「たとえ働いていなくても、生きることに精一杯になってはいるけども、生きているではないか、自分を卑下する必要なんてひとつもない」と思えるようになってきました。そういう風に前向きな気持ちになれたからこそ、仕事を始めるためにいろいろな職業に応募しようと思うようになり、実際に仕事に就いて働くことができたのです。
「仕事をしない人間は非生産的だ」という常識には、どんなウソや欺瞞があるでしょうか。まず子どもを考えてみてください。子どもは仕事をしていません。しかも労働法などによって働くことができないのです。それにもかかわらず、ただ仕事をしないという理由だけで、子どもを非生産的だ、ということはできるでしょうか。当然そういう風にはいえませんよね。
つぎに仕事をリタイヤした人はどうでしょう。この人たちも仕事をしていない理由で非生産的だということはできませんよね。
最後に、何らかの理由で働くこともできない人も、非生産的なのでしょうか。確かに何らかの金銭的な利益を生みだすのに役だっていないかもしれません。ところがたとえば精神疾患で働けない人に非生産的だから働け、では何も解決になっていませんし、逆効果でさえあります。まずその人自身が精神疾患をしっかりと直すと心に決め、援助できる環境づくりをして、その人が生産的なことができるようになってはじめて、生産的な仕事ができます。
このように考えると、仕事をしない人は非生産的だ、などという常識は、人を苦しめるものになることがあるけれども、根拠ははっきりとしたものではないのですね。
こういう風に、常識を疑う、そして常識に含まれるウソや欺瞞を発見する、そして本当にどうすればいいのかを自分なりの答えを出す、これが哲学が大事な理由になるのです。

哲学を学び自分で考えることが達成できたら?

自分で考えることが哲学の大事な要素であることは上で話しました。そうすることで、物事の理(ことわり)、本質を洞察することができます。常識に従って正しく生きようとする自分から、そもそも常識なんて社会が押しつける価値観にすぎず、常識に縛られずに自由に生きようとする自分へと飛躍することができます。

哲学の言い換え・類義語

倫理、思想、精神、フィロソフィー、形而上学、オントロジー、洗練された考え方、というのが哲学と似た言葉です。

パターンに分けると?

ずばり世界探求型と人生探求型の二つのタイプがあります。
世界探求型とは、世界の側の真理が何か仮説を立て、実際にどう世界が成り立っているかなどを論証しようとする哲学です。
人生探求型とは、人間の側の真理が何か、最良の倫理とは何かを考えつくして、その原理に従って行動するという哲学です。

わたしにとって哲学とは

以上のような考察から、ぼくは哲学をこう定義します。
哲学とは、自分のなかにあるウソを暴き、人生を真摯に生きる知的営みである。

現代での、ぼくにとっての哲学とは人生を真剣に生きるための知的営みです。そうである以上、ぼくはこれを続けて行く必要があります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

この記事を書いている人 - WRITER -
哲学エヴァンジェリスト。 東洋哲学や西洋哲学問わず、面白い哲学をあなたにお伝えします。
詳しいプロフィールはこちら

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Copyright© ニーチェマニア! , 2020 All Rights Reserved.