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カントは自由についてどう考えたのか

2020/08/08
 
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どうも、高橋 聡です。今日は光文社刊中山元著『自由の哲学者 カント』を片手に、”カントは自由についてどう考えたのか”ということについて考えたいと思います。読書の際のメンタルマップも示したいと思います。

『自由の哲学者 カント』を読む際のメンタルマップ

なぜこの本を読もうと思ったのか

なぜこの本を読もうと思ったのか。実はぼくは前からうすうすカントにとって1番の関心は自由なんじゃないか、と感じていた節がありました。そこでカントは自由についてどう考え、どのように位置付けたかを知りたいと感じました。

この本から何を得たいのか

この本から何を得たいのか。一番得たいものは、カントが自由についてどう考えていたかを説明できる力です。

読んだ後、どういう状態になりたいと願っているのか

この本を読んで、どういう状態を目指すのか。自己本位的な自由ではなく、責任を伴った自由の位置付けを自分の中ではっきりさせて説明できる状態になりたいです。

著者 中山元さんについて

中山元さんの著作をぼくがはじめて読んだのは、ちくま新書から出ていた『フーコー入門』でした。この『フーコー入門』はとてもわかりやすくて、ぼくがフーコーを今読んでいるのも一重に中山さんのおかげです。自由の哲学者カント 2

翻訳者としては、カントの「純粋理性批判』『実践理性批判』など、ハイデガー『存在と時間』、ルソーの各著作、ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』ほか、様々な翻訳を担当しているすごい人です。そのなかでもウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』はとても読みやすく、このブログでも取り上げたことがあります。

そんな中山さんがカント哲学入門連続講義を行なった時の講演録が本書なんですね。次は自由の概念についてみていきましょう。

自由の概念について

伝統的な3つの自由と、カントが考える自由についてみていきます。とくにカントが考える自由はカントの著作の時期にわかれて発展していきますので、固定的なものではありません。それでは伝統的な3つの自由についてみていきましょう。

伝統的な3つの自由

ギリシャ以来、キリスト教世界で伝統的な3つの自由といえば、次の3つです。

  1. 公的な自由
  2. 私的な自由
  3. 道徳的な自由

一個ずつみていきます。

公的な自由

公的な自由は、古代ギリシャのポリスのうちから生まれました。アテナイなどの民主政をとるポリスのなかで、市民は立法から司法にいたるさまざまな活動に関与する自由が与えられていました。

アテナイでは市民の自由は三つの原則によって確保されました。イソノミア、イセーゴリア、パレーシアの三つです。

イソノミアとは、法律の前での平等を意味します。イセーゴリアとは、市民が等しく語る権利をもっているということです。パレーシアは、すべてのことを語る権利のことです。

この場合の公的な自由とは、政治的な自由を意味します。「〜への自由」、積極的自由と言っていいでしょう。

私的な自由

ギリシャもヘレニズム時代に入ると、コスモポリタンが現れて、ポリスでの活動を強いられないことを重視するようになりました。そうして自由は公的な活動から免除されて、自分の私的な生活を享受できることを意味するようになってきました。

この自由は私的な自由と呼ぶことができます。消極的な自由、「〜の自由」というものです。

この私的な自由の背景には、政治に参加するという側面よりも、自分の生活を律するという意志が大きな役割を果たすことになったのでした。

道徳的な自由

上の二つの意志にたいしてキリスト教とともに、これまでとは異なる道徳的な自由が登場します。使徒パウロは意志は無力だと説きました。意志の自由は善の源泉であるとともに、悪の源泉にもなりました。そこで理性が分裂する意志をおさえつけて道徳的に行動する可能性を追求する道徳的な自由が誕生したのでした。

カントの自由概念

批判には三つの意味があります。第一の意味は分解する、区別するという意味。第二の意味は選ぶ、取り出すという意味。第三の意味は、裁くという意味です。

『純粋理性批判』における自由

第一批判である純粋理性批判では、理性能力の批判に向けられました。この場合の批判の意味合いは、「分解する、区別する」という意味合いが強いです。つまり理性を分解して、理性にはどんな能力があって、理性のそれぞれの能力を区別してどんな違いがあるかを調べたのです。

純粋理性批判でカントは次のようなことを言います。

哲学の体系を学ぶ人ではなく、自由に理性を使用する人、つまり自由に思考する人だけが哲学者なのです。

純粋理性批判で考察された自由は”超越論的な自由”と呼ばれます。カントは人間の行動を観察し、自由のうちには人間の行動と経験を可能にする自由、つまり超越論的な自由があると考えました。

この純粋理性批判での自由は、自分の意志に従って行動するという私的な自由だったのです。

『実践理性批判』における自由

批判の第二意味は「選択する、正しい判断を選ぶ」ということです。これは実践理性批判で考慮される道徳的な自由そのままの意味です。

『判断力批判』における自由

批判の第三の意味は、裁くということです。判断力とは英語で言うJudgementのことですから、そのまま裁く能力ということなんですね。判断力批判では、人間の自由な思考を妨げる制度と装置を批判しています。共同体の中で自由の拡大を目指す公的な自由こそ、判断力批判で扱われる自由なのです。

自由と自律

カントにおける自由は、自律・自立という言葉と密接に関連しています。どの段階の自由でも、独立して自立し、また自分を律していなければ自由はないと考えられています。

まとめ

自由の哲学者カントの前半分を参考にしてまとめてみたカントの自由の概念。古代の自由の概念とも密接に接続され、それぞれがカントの考える自由概念と対応していることがわかりました。

あなたもぜひ、本書を読んで自由とはなにかを徹底的に考えてみませんか。必ず収穫があるはずです。それでは最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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