仏教 西洋哲学

苦の要因と結果をめぐる考察|仏教の縁起説

どうもおはようございます、たかはしさとしです。今日は所属するおんらイサロンのnoteもくもく会第10回ということで、また仏教の記事をお送りしたいと思います。noteもくもく会に来る前に少し電話が入ってきて、書き始めるのは遅くなってしまいましたけど、30分程度で書けるものを書いていこうと思います。


今日のテーマ|縁起説

今日のテーマは仏教の根本教義の一つ、縁起説です。縁起とは何かというと、他との関係が縁となってあるものごとが生起するということです。またすべての現象は、原因と条件が複雑に関係しあって成立しているのであって、何一つとしてほかに依存しないで存在するものはないということです。つまり、原因や条件が関係しあって成立するからこそ、現象は存在するということです。原因や条件がなくなれば、当然結果も別のものになるに違いありません。

釈尊(ブッダ、お釈迦様)がまず最初に悟った内容がこの縁起説であると言われるくらい、重要な教えです。その代表的な教えとしての十二支縁起について見ていきましょう。


十二支縁起(十二因縁説)

十二支縁起、または十二因縁説とは、文字通り十二の縁起が永遠に繰り返されるという考え方です。インドに生まれた特徴的な考え方である輪廻転生の仏教哲学的考察が十二支縁起です。

十二支縁起は次の内容が順番にめぐっていくと言われています。

①無明→②行→③識→④名色→⑤六処→⑥触→⑦受→⑧愛→⑨取→⑩有→⑪生→⑫老死

今風の考え方でいうと、

①無知→②物事がそのようになる力→③識別作用→④物質的世界と精神的世界→⑤六つの感覚器官→⑥感覚器官の外界との接触→⑦感受作用→⑧渇愛→⑨執着→⑩存在が実体化すること→⑪生まれること→⑫老いて死ぬこと

という風になります。この十二支縁起の流れは輪廻の実質的内容であるとともに、仏教では生きることは悟ることがなければ苦だと考えるので、苦の実相ということもできるでしょう。


十二支縁起は釈尊のそのままの教えではない

この十二支縁起という考え方は、実は釈尊が亡くなってから100年程度のちに成立したものだと言われています。原子仏典で釈尊が説いているのは、渇愛により執着が生まれる、ということです。この十二支縁起の⑧以降の5つの部分が釈尊が説いた部分だったのかもしれません。ところが原因や条件として①~⑦の部分がないと説明がつかないから、①~⑦は釈尊の死後に弟子たちが加えていったものではないでしょうか。

十二支縁起がたとえ釈尊の教えでなくても、仏教の根本教義にかかわるものには違いありません。無知から老死までの流れがあるということは、無知を断じてしまえば老死への道がなくなるというのは、仏教の教えそのものだからです。


縁起説のまとめ

縁起説と十二支縁起の解説をして時間がきてしまいました。まとめに入りましょう。

物事(結果)はさまざまな原因や各種の条件が存在して作用することで成立する、と仏教では考えます。これが縁起説の第一の意義です。そして第二の意義は、自分は完全に独立して存在するのではなく、他との関係によって生まれてきた存在だということです。世界や他人との関係に私は依存する、当たり前ですが重要な考え方です。

そして仏教の縁起説は特に苦に目がむけられます。そして十二支縁起によって、コントロールできない苦の原因が無知に由来することがはっきりとして、この無知を改めることで苦から脱出することができることがわかりました。

以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

日曜のあさにたかはしさとしがしるす

-仏教, 西洋哲学

© 2021 ニーチェマニア! Powered by AFFINGER5