人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

因果一如2

 
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般若心経の解説本などを読んでいて、
 
仏教的にいえば、このことばの因果とは
 
たんなる原因と結果という意味ではないと最近気づきました。

因果とは物事の前後関係を指します。
 
一般的に因は必ず先、果は必ず後に位置します。
 
仏教でいう因果とはずばり、
 
① 因が凡夫、果が仏です。
 
② 因が迷い、果が悟りです。
 
③ 因が穢土、果が浄土です。
 
④ 因が苦しみ、果が涅槃です。
 
因果一如とは、この因と果が一つであるということです。
 
どういうことでしょうか。
 
仏教の開祖ブッダの歩みから考えるとわかりやすいです。
 
ブッダはこの世の苦しみ、悲しみなどを見て
 
この世からの解脱をもとめて苦行を行いました。
 
だがそこに救いを見出すことをブッダはできませんでした。
 
そして菩提樹の下で瞑想しているとき、
 
悟りを開きました。
 
 
悟りの世界は素晴らしいものでした。
 
ブッダは如来(完全な人)となりました。
 
ブッダは菩提樹の下でとどまり、瞑想をつづけ、
 
ずっと悟りの世界にいることも可能でした。
 
ただし、ブッダはそうはしませんでした。
 
ブッダは悟りの世界から迷いの世界に戻り、
 
人々に悟りの世界へ行く方法を伝え続けました。
 
そうしてついてきた人がサンガ、つまり僧の集団となりました。
 
そうしてはじめて人々に悟りの道が開かれたといえます。
 
ここで大事なのは、ブッダが悟りの世界にずっと安住していたなら、
 
仏教は今の世に伝わっていないことです。
 
悟りの世界から迷いの世界に戻ってきたから仏教は伝わっているんです。
 
迷いの世界から悟りの世界へと往くことを、往相といいます。
 
対して、悟りの世界から迷いの世界へと還ることを、還相といいます。
 
どちらにせよ、
 
世界は本来ひとつです。
 
世界への解釈がその世界を迷いの世界として規定し、

同様に悟りの世界として規定します。
これが②ですね。
 
ところで、凡夫とは悟りを知らない迷える人々のことで、
 
仏とは悟った人間、覚者(目覚めた人)ですから。
 
迷いと悟りを因果として捉えているのと同じことです。
 
凡夫から仏になる。だが仏から凡夫に戻る。
 
この因果はやはり一つなのです。
穢土と浄土、苦しみと涅槃(永遠の安らぎ)も同じことを言っています。
因果一如とは、こういう世界や物事は解釈次第で
 
いくらでも変容するという事実を踏まえたうえで、
 
それでも世界は一つだということを教えてくれる考え方です。

この考え、あなたは実生活にどう生かせるでしょうか?
 
今生きること、それは常に順風満帆にいくとは限りません。
 
むしろ、障害物があって困ることのほうが多いのが
 
人生ではないでしょうか。
でも、それも捉え方次第です。
あるできごとがあって、つらいこと、悲しいこと、苦しいことなど
 
さまざまな負の感情がわくことがあるかもしれません。
 
でも、あなたはそのつらいことなど試練があるからこそ、
 
そういった試練にあった人の気持ちを
 
理解することができるようになるかもしれません。
 
同じ試練にあった人を励ますことができるきっかけと
 
いずれ捉えることができるかもしれません。
 
それは大きな武器になり、利点となるでしょう。
それこそが、因果一如の真意の一つではないでしょうか。
 
このことば、さすがに奥が深いように思います。
 
 
この宇宙は元来一つ、それでも生きる限り、

悲しいことつらいことが山ほどある。
 
でもその悲しいこと、つらいことを昇華して
 
視点を変えて行動できるようになれば、必ず強くなれる。

行動できる。

実はこれ、色即是空、空即是色という般若心経の有名なフレーズとも
 
近いニュアンスがあるように思われます。

そのことについてはいずれまた。 

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