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福利の最大化を目指す福利型正義論としての功利主義|正義論

 
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どうもこんばんは、高橋聡です。最近、ブログの更新も滞っていましたがちょこちょこ更新していく予定です。最近はサンデルなどを参照にしながら政治哲学という分野を学んでおります。その政治哲学における三つのタイプの正義論を計5回にわけて、解説していきたいと思います。では三つの正義論とは何があるのか、まずは見ていきましょう。ここに書かれていることは、大いに小林正弥著『サンデルの政治哲学』(平凡社新書,2010)を参照しています。


三つの正義論

サンデルによると、正義論には大別して三つの種類があります。
  1. 「福利の最大化」を目的とする福利型正義論―ベンサムの功利主義
  2. 「自由の尊重」を重視する自由型正義論―カントやロールズのリベラリズム、ノージックのリバタリアニズム
  3. 「美徳の促進」を大事にする美徳型正義論―サンデルのリベラル・コミュニタリアニズム
この三つの分類を5回に分けて詳しくみていきたいと思います。 
第一回目である今回の記事ではベンサムの功利主義を中心にみていきたいと思います。功利主義は現代の主流派経済学の根底に流れている哲学説だともいえます。
第二回目ではノージックのリバタリアニズムについて考えていきたいと思っています。ネオリベラリズムとも意見や主張が重なることが多いリバタリアニズムですが、ネオリベラリズムとリバタリアニズム、普通のリベラリズムとの違いについても考えます。
第三回目がカントの古典的リベラリズムを中心にみていきます。カントは哲学で多大な影響を残す哲学者ですけど、政治哲学でもやはり大きな存在なのです。
第四回目がロールズの現代リベラリズムです。社会契約説の議論を現代に復活させたといわれるロールズはどのような前提にたち、功利主義を批判したかを知ることはとても大事です。
最後になる第五回目では、サンデルのリベラル・コミュニタリアニズムについて考えていきます。古典的にはアリストテレスの議論に遡ることができるコミュニタリアニズムでは、特に美徳が重視されます。この考え方のもとでは善と正義が一致しております。
それでは、今回のテーマである功利主義についてみていきましょう。


福利型正義論としての功利主義

新古典派経済学や主流派経済学が基礎としている哲学が功利主義です。経済学が基礎とする哲学だということなので、功利主義は市場主義とも関連が深い哲学説です。
簡単にいうと、功利主義は個人が感じる快楽・喜びを幸福と考えます。そして社会に所属する一人一人がもつ幸福の総量が社会全体の幸福である、と捉えるのです。この社会全体の幸福を最大化することを目指すのが功利主義の哲学の特徴です。ベンサムが最初にこの功利主義哲学を説き、発展させました。
ちなみに何を喜びとするかは各人が主観的に感じたものの合計であって、客観的な判断基準は必要ない、とベンサムをはじめ功利主義者たちは主張しました。


帰結主義・結果主義

こうした功利主義は、正しさを結果(感じた後の喜び・快楽)から判断します。このように結果から正しさを判断する事を帰結主義結果主義と呼びます。そして通常、結果主義は個人個人の行動や政策、法律を考える際に適用されます。そしてこの結果である喜び・快楽の合計を最大にすることを目標とします。


経済学の根底に流れる功利主義/経済指標第一主義

現代の主流派経済学の根底にあるのが「喜び」「快楽」を「効用」として捉える功利主義です。こうした経済学で最初に出てくる効用関数は、功利主義の枠組みの中に位置しています。
経済指標であるGNPやGDPを重要な第一の指標として、これらの指標が大きいほうがよいと考えるのは、功利主義的発想の一つです。お金を持っていることが快楽・喜びと連動していると仮定すれば、幸福の指標はお金の総数であるGNPやGDPといった指標に現れることになります。結果、功利主義的発想のもとでは、GNPやGDPの成長が、社会の幸福の増大につながると信じられているのです。
政治の目標とGNPやGDPをもとにした経済成長を続けることであるという考え方はこうして現れます。


ベンサムの功利主義

功利主義の創始者は18世紀から19世紀に活躍したイギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムだといわれています。ベンサムは喜び・快楽が大きいことと苦しみ・苦痛がないことを良いことであると考えて、「喜び-苦しみ=幸福」を最大化することが道徳の思考の原理であると説きました。そして正しい行い(正義)とは、喜びを増大させ、悲しみを減少させる効用を最大化することなのだと言います。
最大多数の最大幸福」という言葉がベンサムの言葉として有名ですが、後年ベンサムは「最大幸福原理」として効用の重要性を強調しました。


功利主義の弱点①:多数者の重視

たとえば、乗客運転手併せて5人が乗っている路面電車が暴走しているとしたとき、外にいる1人が命を犠牲として路面電車を止めれば5人の命が救えるとします。そうしたときに功利主義の発想で考える正義とは、外にいる1人が命を犠牲にして路面電車を止めることとなります。功利主義では、1人の死は5人が助かることよりも価値が小さいと判断せざるをえません。
ところが本当にそれが正義の行為といえるでしょうか。数の優位性を重視して1人を結果的に死なせることが正義だというのは、いきすぎた考え方のようにも思えます。このように功利主義の発想では個人の立場は無視されることが往々としてあります。これが功利主義の弱点の一つです。


功利主義の弱点②:価値の共通通貨の想定

古典的な功利主義では、人びとの幸福は計算できるものだと考えられたため、幸福には共通の基準が成立するといいます。ベンサムの効用という概念は、幸福の共通通貨を提供します。
このような考え方のもとに行われているのが「費用便益分析」です。費用便益分析とは、「ある政策・行動がどれだけの幸福をもたらすのか。また同時に、どれだけのコストがかかるのか」を貨幣価値に換算して、その差額で政策・行動の決定を行います。
アメリカ・フォード社のピント車の費用便益分析では、車の欠陥があるため事故で死ぬ人間の命や負傷する人の犠牲をもとに貨幣換算して、こうした人間の命や負傷の被害を修理(リコール)の便益の中に入れました。
そうすると、欠陥の修正にかかる費用が便益(人間の命や負傷の被害)より多かったと結論づけられてしまいました。つまり「人命は犠牲になっても、欠陥の修正をしないほうがよい」との分析が出てしまいました。人命を貨幣換算することで費用のほうが高いという理由から、組織の政策・行為が正当化されてしまったわけです。
これも功利主義の問題点の一つだといえます。功利主義では幸福の共通通貨があるという前提から、人命や人の負傷といった本来貨幣換算などできないものを、無理矢理貨幣価値になおそうとしてしまったのです。こうした前提では、当然ながら功利主義の正義と人びとの考える正義との間に齟齬が生まれてしまいます。


今回の記事の要点:功利主義のまとめ

福利型正義論である功利主義は、主流派経済学が基礎としている哲学で、市場主義と大きな関係があります。功利主義によると個人の幸福とは、個人が感じる快楽・喜びから苦痛・苦しみを差し引いて残ったものです。そして社会全体の幸福はその社会に属する個人の幸福を総和したものだとベンサムは考えたのです。正しさを結果に求めることから、功利主義は結果主義とも言われます。そして経済指標であるGNPやGDPの成長が政治の目標だと考えることも功利主義的発想からもたらされたものだといえます。
功利主義には二つの大きな弱点があり、一つが少数者より多数者が常に優先されるということ、価値の共通通貨を想定してなんでも貨幣換算しようとすることがあげられます。

以上、今回は功利主義についてみてきました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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