人文科学系、主に哲学の専門用語の解説を中心とした雑記集

対等な関係を目指す文章を書く

2021/05/13
 
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どうもこんばんは、たかはしさとしです。大阪は雪が少し降っていましたが、皆さんの地域は大丈夫でしたでしょうか?明日からはすこしでも落ち着いてくれるとありがたいのですが、まだまだ寒くなりそうな気もします。コロナを含めて体調には最大の注意を払って過ごしましょうね。


前回の記事|右の優越とトップ画像

さて前回は”右の優越”について触れました。もともとは座右の銘がなぜ右なんだっていう疑問から始まった記事でしたが、いろいろ考察しているうちに右の優越性を考えていました。以下がその記事です。



まだ読んでおられない方はぜひリンクをクリックしてよんでくださいね。

さて今回のトップ画像は、康煕字典という中国清代の時代に康熙帝が作るのを命じた漢文の文例集です。古いと言われている書籍から順にその漢字を用いた文例がのせられています。


清の康熙帝の勅撰により、漢代の『説文解字』以降の歴代の字書の集大成として編纂された。

編者は張玉書、陳廷敬ら30名で、6年の編集期間を経て康熙55年閏3月19日(1716年)に完成[1]。全12集42巻、収録文字数は47,035字にのぼり、その音義(字音と字義)を解説している。(WIKIPEDIAより)

4万7千字の漢字を扱っているというすごい字典です。

この康煕字典の右の字の部分を開いているのがトップ画像なんですが、めちゃくちゃ小さな文字とひたすら漢文が並ぶだけのものです。大学時代はこういうのを懸命によみながら漢字の意味などを類推したものですが、久々に手に取ってみるとなかなか解読がハードなので、右に関する記事はもう少しお待ちください!


読み手を対等に扱う文書を書く

name="GzsIJ">さて今日もさわらぎ寛子さんの著書『売れ続けるネット文章講座』(ぱる出版,2020)を読んで思ったことを書いています。

今のSNSの文章見てると、上から目線のものが非常に多くないですか?仮に教える立場にあったとしても、上から目線で文章が書かれてたら、その人から教えてほしいと思いませんよね。教える立場であろうと、教えられる立場であろうと、完全な対等な関係ではないにせよ、互いが対等に接しようと努力するべきなのです。だから教える立場であっても、上から目線はゲンキンだと『ネット文章講座』には書かれています。

これはもっともなことであり、文章だけではなくどんな人間関係のコミュニケーションでも本来適応すべきものです。

ここで少し深く考えてみると、この読み手を対等に扱い文書を書くのはなぜでしょうか。つまり、たとえ立ち場の違いがあっても平等に接するべきなのはなぜでしょうか。

ぼくが一番真っ先に思い浮かんだのは、人間は他人と全く同じということはありえません。同様に、他人と全く違うということもありえません。全く同一ではなく、全く違うのでもないということは、一人一人を比べると共通点はそれなりにあるものの、相違点もそれなりにあるというのが人間同士の特徴といえるでしょう。共通点があるからわかりあえるのだし、逆に相違点があるから自分にはできないことをできる人がいる。だからその自分とは違う点を尊敬して協力して、人間は生き延び、発展できるのです。これは理想論に聞こえるかもしれませんが、本当にコミュニティが大きくなるときはそういう相乗効果、WIN-WINの関係が続いてるときなのです。

同じだからわかりあえるし、違うから尊敬できる。そういう社会は素敵だと思いませんか。そして他人に尊敬できる点があると思っている人は、他人をけなしたり、上から目線で文章を書いたりしません


name="wgOFS">つまりここでいう人間の尊厳というのは、違いにあるのだ、ということが思い浮かんだ第一の点です。

上から目線で接してはいけない第二の理由は、単純に相手のやる気をそぐからです。なぜやる気が削がれるかというと、考えたらわかります。この人はすごい結果を出しているかもしれないけど、こんな上から目線の態度で接してくる人だったら、本当に続くだろうか。不安がでてきます。そして実際会ってみて、その態度が変わらなかったら不安が増し、やる気が削がれるでしょう。人を見下してばかりの人の近くにいると、その見下す人の欠点ばかり目に入るものです。結局人を見下す態度っていうのを本当に快く思う人はほとんどいないのです

他にもいろいろあります。でも僕は特に第一の点で尊敬できる点がほかの人にも必ずあるから、見下すべきではないと思います。

それに教える立場の人から、対等に扱われたらうれしくないですか。親切という要素も関わってきますね。もちろん指導すべきところはしっかりと言ってもらわないといけませんが、それでも対等に人間を扱うから言うのであって、自分より下にいるから言うのではないですね。

そもそも立場が上とか下とか、そういうのはただ知るのが早いだけだったり、生まれるのが早いとかだけだったりするわけです。そんな時間的に先行しているという理由で上下関係など本来は規定できるはずがないのです。

だからこそ、相手がいるどんなコミュニケーションも対等に扱うことを念頭におくべきだと改めて感じました。自分のこととしても反省を含めて、ここにこのことを記します。

たかはしさとししるす 令和3年1月8日



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